23.唇 (2)
俺…なんでこんなことしてんだ?
「そうか。暫く姿を見ないとは思ったが、寿里庵は入院していたのか」
「は、はい。腰を、ちょっと、やっちゃいましてぇ…」
「腰痛か。年はとりたくないものだな」
目の前じゃ、螢惑が妖魔と戦ってるっていうのに、
「伊庵はずっと付き添いか」
「ええ、泊まり込みで。今は自宅療養ですけど」
「大変そうだな」
「結構、楽しそうにやってますよ。その前までハネムーンに行ってたんで、雰囲気そのまんまっつうか」
「相変わらずだな」
何で俺は太四老の吹雪と並んで世間話なんかしてるんだー!
螢惑が方向音痴なのが悪い。折角俺が地図を書いてやったのに、それを使いこなせねえ螢惑が悪い。結局、俺が案内する破目になっちまったんじゃねえか。こんなことなら吹雪の屋敷の門の前までで帰っちまえば良かったぜ。あんまりでかい屋敷だから、ちょっと中を見てみてえな〜なんて、螢惑に便乗したのが大きな間違いだったよ。慣れねえ敬語で舌噛みそうだ。
まあ、向こうから話題を振ってくれるから、俺はそれに答えるだけだからいいけどさ。…吹雪もこうみえて、実は案外フツーで意外にキサクな結構イイヒトかもしれねーな。遊庵兄貴の同僚だし。あ、そうか。この人からすると俺は同僚の弟ってわけだ。オヤジやオフクロのことも知ってるみたいだし。…だよなー。所詮は兄貴と同じ太四老だもんな。たかだか兄貴と同じ太四老…
同じじゃねー! すっげー緊張! やっぱ、苦手!
話題は軽いんだけど、吹雪の目は真剣に螢惑たちの戦いを見てるし、俺は直立不動だし、全然和やかじゃねーんだよ。
緊張するっつうか、息が詰まるっつうか、よくこんなの相手に「アンタ」呼ばわり出来るよな、螢惑も。どーゆー神経してんだ。神経がねえんだな、アイツは。
「ところで」
「ハイッ」
「前から疑問だったのだが、何故、お前たち一家の名前は全員に『庵』が付いているんだ?」
「…オヤジとオフクロに聞いて下さい」
助けてー、遊庵兄貴ー!
2人の剣技はほぼ互角だった。何合打ち合っても、どちらも崩れない。まるで完成された舞踊を見る思いだ。
辰伶の身体で剣を操る妖魔は、生前の辰伶そのものだ。舞曲水と名付けられた切れ味の鋭さと軽量に特化された特殊な剣をまるで身体の一部であるかのように難なく使いこなしている。ほたるの重い攻撃も、剣の角度とタイミングで受け止め、そのスピードで弾き返す。動作は最小限で、全く無駄が無い。前にほたると戦った時よりも剣技に数段磨きがかかっている。その型の美しさとリズムは見るものを惹きつける。
ほたるの剣は自由奔放。型もリズムもあったものではない。しかし不思議と理に適っており、一見無駄に思える動作も予想外に次の攻撃への繋ぎとなっていたりする。華やかで派手な剣技は相手の意表をつくだけのまやかしではない。ほたるのそれは、見かけ以上に破壊力がある。
彼らの性格のせいだろうか。どちらも攻撃主体で守りを殆ど捨てている。そのため剣の舞は華々しく激しさを増していく。互いに大技を繰り出すタイミングを得られず、ジリジリと消耗していくばかりだ。
先に焦れたのはほたるだった。一旦間合いを大きくとり、最上段からの打ち下ろしと同時に、特殊能力で炎を召喚した。
「魔皇焔!」
灼熱の塊が妖魔に肉迫する。すかさず舞曲水を閃かせた。
「水破七封龍!」
7匹の水の龍がほたるの焔に喰らいつく。2人の技はぶつかり合って消滅した。これも互角だ。水蒸気が辺りに立ち込める。まるで霧の中のようだ。
突如として霧の中から水龍がほたるにその牙を剥いた。不意の攻撃を、それでも何とか避けたが、頬から一筋の血が流れた。視界の悪い霧の中では、水龍の位置は杳として掴めない。一方、水龍は霧の中を、まるで水のように自由に泳ぎまわっている。いや、霧そのものが水龍を生み出しているのだ。
「だから、水はウザイんだよ」
ほたるは流れる血で自らの肌に化粧を施した。琥珀の瞳が凶々しく輝きを増す。
再び霧の中から水龍が襲う。しかし今度はその牙でほたるを噛み裂くことはできなかった。ほたるの全身を高温の炎が包み、水龍を消滅させてしまった。ほたるの身を守る炎の鎧、ファイアー・ウォールは刀さえも通さない。ほたるは刀を一閃させ、深く立ち込めていた霧を薙ぎ払った。霧は一瞬にして蒸発し、視界は完全にクリアーになった。壁際の吹雪と庵曽新。辰伶の姿をした敵。そして、焔の華に全身を化粧したほたるの姿がはっきりと現れた。
「焔血化粧か。その技は以前に敗れていることを忘れたか?」
「前と同じと思わないで」
ほたるはジェット(アンバー)と約束したのだ。辰伶の仇を討つと。以前のように足枷になっているものは、今のほたるには何も無い。全力で最大の技を使うことが可能だ。
「限界前に、お前を焼き尽くす」
「勝手に自滅するがいい。水破封龍陣!」
今度は妖魔が先に技を放った。荒れ狂う水龍たちがほたるの動きを封じるべく四方八方から襲い掛かる。ほたるの剣が水龍の頭部を打ち砕く。真っ二つに切り裂く。水龍たちは片っ端から飛沫をあげて元の水に戻った。だが、これこそがこの技の真の狙いだ。気付けばほたるは大量の水のど真ん中にいた。身動きがとれない。
「無明歳刑流奥義、水魔爆龍旋!」
ほたるの腰近くまであった大量の水が、再び水龍と化して一斉に襲い掛かった。切り伏せることも避けることもままならない数だ。それでなくともほたるの動きは封じられている。
「デモンズ・ブレス」
ほたるを中心に、黒い火柱が立った。この世には存在しない黒い炎。地獄の業火デモンズ・ブレスがほたるを縛る水を消滅させる。自由になったほたるは、妖魔の頭上に無数の黒い炎を降らせた。
「堕天使降臨!」
水龍の旋風と黒き炎の雨。互いに互いを追い詰め、激しくぶつかり合う。黒い炎は水龍を焼き、水龍は黒い炎を喰らう。炎は龍の中で消え失せず、その身の中から不死鳥のごとく炎を噴き上げる。水龍を叩く炎の雨は、龍の尾に薙ぎ払われ打ち消される。
水と炎がこの場の覇権を争って荒れ狂う中、ほたると妖魔は再び刀同士の戦いとなった。この間合いでは、辰伶の刀の性質から妖魔の方が有利だ。ほたるは自分の間合いに持ち込むため、少々強引に刀を振るった。焔血化粧の効力で限界以上の力を引き出している今なら、スピードを誇る辰伶の(妖魔の)剣技をも凌駕する速さで立ち回ることができる。そこへ持ち込めば、もともと型の無いほたるの戦い方は、相手のリズムを読んで戦う辰伶(妖魔)のような戦士に対して相性が良い。俄然、有利となるのだ。
ほたるは妖魔を追い詰め、その喉元に剣先を突きつけた。
「……っ」
僅かにでも動けば、ほたるの刀がその首を落とす気構えだ。妖魔は息を呑んだ。
「ほらね。全部が全部、前と同じじゃないんだよ」
ほたるの肌に浮かび上がっていた血化粧が薄くなっていく。数秒もせずに、跡形もなく消えてしまった。
妖魔は刀を手放し、自嘲気味に笑った。
「降参だ。お前の勝ちだ。好きにすればいい」
「……」
「どうした? 煮るなり焼くなり、好きにしたらいい。この身体を」
妖魔の笑みは、挑発的なそれに変わっていた。妖魔の身体は辰伶のものだ。この身体を切り捨てたところで、妖魔は容れ物を失うだけで滅びはしない。辰伶の遺体に傷が1つ増えるだけ。
「辰伶の身体から出て行け」
「嫌だ、と言ったら?」
ほたるは唇を噛み締めた。数秒間、逡巡の苦しみに瞳を伏せたが、やがて悲愴な決意をその琥珀色の光に漲らせた。
「そう。だったら、もう消えて」
ほたるは妖魔に突きつけていた刀を自らに返し、己の左腕に傷を作った。真紅の血がほたるの腕から流れ、辰伶の身体に振り蒔かれた。妖魔が辰伶の顔で、不思議そうにほたるを見上げる。
「螢惑輝炎」
辰伶の身体に付着したほたるの血が発火した。辰伶の全身が勢い良く燃え上がる。
「ぐっ…あっ…」
辰伶の顔が苦痛に歪み、妖魔は苦鳴をあげて膝をついた。堪らず水龍を召喚するが、消火は全く追いつかない。消しても消しても身体の奥から炎が上がる。炎は辰伶の身体に絡みつき、その肌に色鮮やかな焔血化粧を浮かび上がらせた。
「無理だよ。この炎は俺の血を燃やして創った血の呪印。相手に強制的に焔血化粧を発症させて内側から燃やす。辰伶の中に居るお前も、逃しはしない」
「き…さま、こんな…技を…」
「どう? 辰伶の身体から出て行く気になった?」
苦痛に喘ぎながら、妖魔は不敵に笑った。
「…この身体ごと、消滅させたら…いい。…俺はっ…構わな…」
ほたるは横目で吹雪を見た。相変わらず、吹雪に動きはない。愛弟子の身体が炎に焼かれる様を、冷たい彫像のように、ただ見ている。
「俺は…この身体にっ…戻りたかったのだ…からっ」
ゆらりと、妖魔は立ち上がった。
「この身体で生まれたかったのだから…」
妖魔は天を振り仰ぐようにして1匹の小さな水龍を飲み込んだ。喉を艶かしく動かして水龍を嚥下した妖魔は、上目加減にほたるを見遣ると、妖しく笑った。
「これならどうだ。俺自身は体内の水龍に守られている。焼けて灰となるのは辰伶の身体のみだ」
「……」
「術を解除してくれないか? 螢惑」
「身体の中の水龍ごと燃やす」
「辰伶の身体が燃え尽きる方が先だな。そうなれば自然と術は消える」
「……」
「お前は俺を倒せず、俺は辰伶の身体を失う。痛み分けだな」
「俺はお前を倒す。辰伶の仇であるお前を、絶対に倒す」
ほたるは黒い炎を召喚した。妖魔は水龍で応戦する。その時妖魔が召喚した水龍は、これまでにない巨大ななもので、黒い炎を、それを操るほたるごと飲み込んだ。
「なっ…」
ほたるの螢惑輝炎で弱っているはずの妖魔が、なぜこれほどまでに強力に水を操ることができるのか。驚いて、ほたるは妖魔を見た。すると妖魔自身もその力の大きさに半ば呆然としていた。辰伶の身体を焼いていた炎はなりを潜め、しかし焔血化粧はくっきりとその肌に残っている。
「なるほど…」
妖魔は突如、声を立てて笑った。心底おかしくて仕方がないという様子で笑う。
「螢惑。お前と辰伶は異母兄弟だ。この身体には半分はお前と同じ血が流れている。螢惑輝炎といったか。お前の血を呪印とするこの技は、どうやら俺に味方してくれたようだ」
「そんな…」
「いつもお前が俺の運命を握っている。そして、必ず俺に道を拓いてくれる。本当にお前は俺の為に存在しているみたいだ。そうは思わないか? 螢惑」
辰伶の強運を削ぎ、己のものにしてしまうと、そういう星回りだと、ほたるは忠告されたことがある。そしてその通りに、辰伶はほたるの為に命を捨てた。辰伶は己の人生を、殆どほたるを想うことに捧げて逝ってしまった。
そしてその忌まわしい星回りは辰伶の仇に味方し、辰伶の仇を討つことさえ、ほたるに許そうとしない。ならば、辰伶の仇とは誰のことだ。
妖魔は辰伶の顔で辰伶のように微笑みかけた。手にした舞曲水が鋭い光を放っている。
「さようなら、螢惑。心から愛している」
振り下ろされる白刃の光を見ながら、ほたるは思った。辰伶を死に追いやったのは自分。辰伶の仇とは、自分のこと。
その凶刃が、あと数ミリでほたるを引き裂くという寸前で止まった。何が起こったのか何も把握せぬままに、ほたるの意識は途切れた。崩れるほたるの身体を抱きとめたのは、それまで傍観に徹していた庵曽新だった。
辰伶の身体が、それこそ彫像のように動きを止めて固まっている。舞曲水を操っていた腕には、細くてしなやかな鍼が突き立っていた。庵曽新には父親仕込みの鍼師の技があり、それによって妖魔の動きを封じ、また、ほたるの意識を止めたのだ。術者であるほたるの意識が途切れたせいだろうか、辰伶の身体に浮かんでいた焔血化粧も消えた。
途中で止められたことに気を悪くした妖魔は、不機嫌そうに鍼を抜き取った。
「部外者が…」
妖魔は庵曽新に刀を振るった。舞曲水は庵曽新を、彼が抱えるほたる共々横薙ぎに真っ二つにした。しかし手応えが無い。切り裂かれたはずの庵曽新とほたるの身体は、その像を歪め、水となって崩れ落ちた。水分身だ。
妖魔は振り返って吹雪を睨んだ。こんなことが可能なのは吹雪だけだ。気付けば道場にはほたると庵曽新の姿はなく、吹雪と妖魔の2人のみが残されていた。
「2人を何処へ逃がしたのですか?」
「……」
「何故、これまで傍観者でいた貴方が、この期に及んで手出しされるのですか」
「螢惑はすぐに戻ってくる。その時、再戦すればいい」
吹雪の言葉に、妖魔は呆気に取られた。
「質問の答えになっていませんし、納得がいきません。今の戦いは、最終的には俺の勝ちだった。それに横槍を入れて、さあもう1度とは、それが太四老たる御方のなされることか?」
己を非難する言葉にも、吹雪は顔色1つ変えない。
「お前の言い分も尤もだ。ならば、螢惑との再戦で、お前が勝ったなら」
気負うことなく、吹雪は言った。
「俺の命をくれてやる」
「それは…酔狂というか」
吹雪の提示したチップの額に、妖魔は驚きを隠せなかった。
「魅力的な賭けですが、良いのですか? 私が負けた時には私の存在は消えてますから、貴方は何も得るものが無い。そして私が勝った時には、私は貴方からの報復を恐れる心配が無くなる。賞品が一方的に偏り過ぎています。…それほどまでに、螢惑を信用できる根拠を知りたいものです」
「……」
「肝腎なことは、何も話して下さらないのですね」
吹雪の口元に、小さな微笑が浮かんだ。
「俺は螢惑ではなく、己の力を信じているのだよ」
初めて見る吹雪の笑顔に、妖魔は微かな不安を覚えた。自らの動揺を自覚した妖魔は、それを苛立ちと怒りにすりかえた。
おわり
今回の戦闘シーンは屋内にも係わらず大技のぶつかり合いですが、道場が吹っ飛ばないのは吹雪様の結界のお陰です。
(06/1/17)