16.音
仲間なんて、って思う。
「そんじゃあ、フラレ野郎に乾杯!」
「カンパーイ!」
梵天丸の音頭にアキラと灯が唱和した。その楽しげな声を、ほたるは恨めしく聞いた。
「…今日の飲み代、俺は払わないからね」
ほたるが異母兄に恋慕して、結果ものの見事に玉砕したという情報は、時を置かず仲間達の間に知れ渡った。誰にも話した覚えはないのだが、こういう話はどこからともなく伝播していくのだ。
話を伝え聞いた仲間達は、傷心のほたるを慰めるために、居酒屋に集まって飲み会を開いた…という一応の体裁が、ここにはあった。しかしその実態は、他人の不幸を肴に寄り集まって、単に酒が飲みたかっただけだろうと、ほたるは思う。
真向かいの梵天丸が、ほたるの盃に酒を注いだ。
「ほら、飲めよ。失恋したときゃヤケ酒って相場が決まってんだ。酒飲んでスッキリ忘れちまえっ…て、言ってもムリかなぁ〜。なんせ、ほたるクンは失恋相手と同じ敷地内に住んでんだもんなぁ」
「うるさいよ」
勢い良く盃をあおり、一息に乾す。間髪入れずに梵天丸が酒を満たす。それをまたあおる。
「大体、血の繋がった、しかも同性の兄弟に恋するなんて、実った時の方がコワイですよ。ま、当然の結果じゃないですか?」
「……」
アキラの言うことも一理ある。しかし理屈では想いは片付けられない。ほたるは早いペースで杯を重ねた。
「それはそーだけどさ。でも、ものには言い方ってのがあると思う。『話にならん』『目を覚ませ』で終わりだもん。男だし、異母兄弟だけど、でも、ずっとずっと好きだったのに。本気で好きだったのに、こんなのってアリ?ってカンジ。涙も出やしないよ」
「元気出せって。世の中には、おめえの兄貴よりキレーな女(ってのも変な表現だな)はゴマンといるんだからよ」
「そんなゴマンもいるような女に何の価値があるの。辰伶なんか、この世に1人しかいないんだよ」
「それって、1つの真理よねえ…」
梵天丸とほたるのやりとりを聞いて、灯は溜息をついた。
「ほたる、あんたの気持ちはよく解かるわ。私にも狂しかいないもの」
「灯ちゃん…」
「ほたる…」
「灯ちゃーんっ」
「ほたるうっ」
ほたると灯はギューッと力強く抱き締めあった。
「さすが、変態の気持ちは変態にはよく解かる…うわっ!」
半秒前までアキラの顔があった空間を、灯のぶん投げたビール瓶が風を切って通り抜けた。
「あら、よく避けたじゃないの」
「危ないじゃないですかっ」
「ふーんだ。あんたになんか、アタシの気持ちは解かんないわよ」
「灯ちゃん、俺は解かるよ。灯ちゃんの気持ち、すごく解かる」
「ほたる…」
「灯ちゃん…」
「ほたるうっ」
「灯ちゃーんっ」
ギューッと、再び抱き締めあう。眼前に繰り広げられる厭きれた光景に、梵天丸はうんざりと舌打ちした。
「もう酔っ払ってんのかよ」
「梵が飲めって言ったんじゃない」
「別にいーけどよ…」
「いっそ、変態同士でくっついたらどうですか? その方が世の中平和…うわっ!」
半秒前までアキラの顔があった空間に、ほたるの炎が噴射された。
「なんで避けるの?」
「危ないじゃないですかっ」
「俺の全部は辰伶のものだから、灯ちゃんとはくっつかない」
「ほたる…実らない恋に、健気に操を立てようっていうのね。解かるわ、あんたのその気持ち」
「灯ちゃん…」
「ほたる…」
「灯ちゃーんっ」
「ほたるうっ」
またこれである。酔っ払い同士のすることだから、といっても、しょーもない光景であることには変わりない。
「灯ちゃんって、優しいんだね」
「ダメよ、ほたる。アタシの心も体も全て狂のもの。あんたにあげられるのは、この2つの肉まんだけ…」
「灯ちゃん…俺、ピザまんの方が好き」
「ほたる…」
「灯ちゃん…」
「ほたるうっ」
「灯ちゃーんっ …ぅぷ…… げ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」
「!」
◇
◇
◇
一部でお見苦しい映像がありましたことを、深くお詫び申し上げます。
by 壬生TV
夜遅くの訪問者に、辰伶は渋面をつくったものだったが、彼らの姿を見て驚きに目を瞠った。
「ほ、ほたる。どうしたんだ」
正体無く酔い潰れたほたるを担いできた漢、梵天丸は苦笑いを浮かべた。
「決まってんだろ。失恋の憂さ晴らしにゃ、ヤケ酒しかねーよ」
「ほたる、ほたる」
梵天丸からほたるの身柄を譲り受け、一旦床に横たえる。全身からアルコールの臭いがする。苦しそうに唸っているほたるを、辰伶は心配そうに覗き込む。酔いだけではない。体中に擦り傷や痣があり、服も酷く着崩れて、破れた箇所もある。
「喧嘩でもしたのか?」
「あー・・・ そりゃ、灯の奴が暴れてな。こいつがゲロまみれにしちまったから、あいつキレちまってよお。もう手がつけられねえから、アキラを人身御供においてトンズラしてきたのよ。ま、その内、灯からクリーニング代の請求があるんじゃねえかな」
「それは、弟が迷惑をかけた。申し訳ない」
「これくれえ、俺たちの間じゃ、しょっちゅうよ。屁でもねえさ」
ほたるは断続的に呻き声を上げ、吐瀉物で顔が汚れ、髪にまでついていた。酷い有様だ。
「こんなになるまで、飲むなんて」
「野郎同士で、しかも兄弟とくりゃ、お前さんが拒むのも、まあ、当然っていやあ、当然って気もするぜ。でもよ、こいつだって、そういうの解かってて、それでもお前のこと好きになって、全部飲み込んだ上でどうしようもねえんだ。だから、もーちっと、こいつの気持ちの治まりがつくような、フリ方をしてやっちゃあどうだ」
「…こんなに傷つくなんて。…俺のせいなのか」
冷たい床に横たわるほたるの傍らに辰伶は跪き、酔いに蒼褪めた顔を覗き込むようにして凝視していた。呻き声をあげているほたるよりも、辰伶のほうが苦しげな顔をしていた。
「救急車呼ぶ必要はねえと思うが、後は頼んだぜ」
「わざわざ運んできてくれてありがとう。ほたるが回復したら、ちゃんと礼を言うように言っておく」
梵天丸はそれには無言で、ひらひらと片手を振ってその場を辞去した。
「ほたる、ほたる」
「うー・・・」
「こんなところで寝てしまっては風邪をひく。動けるか?」
「うー・・・寝る」
「しかたない。俺に掴まれ」
「いい。…寝る…」
「駄目だ。風邪をひくぞ。ここに布団を敷いてやろうか?」
「いい…放っといて…」
そういう訳にもいくまい。どうしたものかと辰伶は途方にくれた。ほたるの呻き声は本当に苦しそうで、梵天丸はああ言ったが、救急車を呼んだほうがいいのではないかと思った。
やがてほたるは、のそりと身を起こした。フラフラと立ち上がる。そのまま歩き出そうとするが、よろめいて膝が崩れる。それを辰伶は背後から抱きかかえた。
「うー・・・気持ち悪い…」
「ほたる、全部吐いてしまえ。吐けば楽になるから」
辰伶はほたるを支えて、洗面所へ誘導した。洗面台に凭れかかるようにして突っ伏したほたるは、途端に嘔吐した。固形物は吐ききってしまったようで、水ばかりが出てくる。水道の水で流しながら、ほたるは吐き続けた。時折水を口に含んでは、それをまた嘔吐する。その背中を、辰伶は気遣わしくさすっている。
「まだ…アルコールの臭いがする…」
「飲み過ぎだ。次はもう少し考えて飲めよ。あんな呻き声をあげて、死んでしまうかと思うじゃないか」
「声…出してる方が……楽なんだよ」
「ついでに顔を洗え。それから、髪にも汚れがついてるぞ」
「……」
しかし、それきりほたるは洗面台に凭れたまま動かなくなってしまった。服も髪もびしょ濡れだ。
「こういうときは、風呂にいれてはいけないんだったな。しかし、この有様では…」
辰伶はほたるをバスルームに連れて行き、服を脱がせて浴室の壁に凭せ掛けた。シャワーの温度を温めに調節する。熱ければ血の循環が良くなって、アルコールが余計に回ってしまう。しかし水ではこの季節、風邪をひいてしまう。辰伶は温度をよく確かめて、ほたるの頭から優しくシャワーの雨を降らせた。手で髪を梳って汚れを流していく。
「ふふ…きもちいい……」
「ほたる、寒くないか」
「寒くないよ。あっついくらい。…シャワー気持ちいい…アルコールが体から抜けて、流れてくみたい…」
ほたるは気持ちよさそうに目を閉じて、シャワーの齎す心地よい刺激を顔面に受けた。
すっかり汚れを流し終えて、辰伶はシャワーを止めた。そして再びほたるを抱えようとしたところ、ほたるが全体重を掛けて倒れこんできた。咄嗟のことにバランスを崩し、辰伶は支えきれずに押し倒される形となった。
「こら、しがみつくな。起き上がれんだろう」
「…あれ? 何で辰伶が…居るの?」
「相当、酔っているな」
辰伶は溜息をついた。ほたるはそれをじっと見下ろしていたが、ぱたりと辰伶の胸の上に落ちてきた。
「おい」
「なんか、気持ち悪い」
まだ吐き気がするのかと、辰伶は思ったが違った。ほたるは辰伶の濡れたシャツの感触が気持ち悪かったのだ。
「これ…邪魔…」
ほたるは辰伶のシャツのボタンを外して、前を肌蹴させてしまった。そうしてまた、その胸に頬を寄せる。
「こんなところでふざけていては風邪ひくぞ」
「俺が看病してあげるよ」
「お前がひいたらどうするんだ」
「俺、バカだもん。風邪ひかないもん」
何がおかしいのか、ほたるは辰伶の上でクスクスと笑っていた。
「ふふ……辰伶の……心臓の音がする。……ねえ…灯ちゃんは肉まんだから、何にも音しないんだよ…」
「何の話か解からん。…この、酔っ払いめ」
「酔ってるよ。酔ってるけどね……俺は本当は酔ってないんだよ…」
「酔っ払いは皆、自分は酔っていないと言うんだ」
囁くようにして2人は会話を続けていた。こんな状態でいてはいけないことは解かっているが、ほたるは酔いで動けなかったし、辰伶は何故か動く気になれなかった。そっとほたるの背中を抱きしめる。
「辰伶の…心臓の音が……聞こえる…」
「生きているからな」
「ねえ……辰伶にとって、俺は何?」
「……」
その言葉の数秒後に、辰伶はほたるの寝息を耳にした。辰伶の規則正しい鼓動を、ほたるは夢の中でも聞いているのだろうか。安堵に満ちたその寝顔に、辰伶は切なさを募らせた。
「お前は、俺の全てだ」
ほたるを抱く腕に力を込めた。
おわり
そういえば、このシリーズで梵天丸と灯の説明をした覚えがない。登場が唐突ですみません。
(05/11/29)