15.鋭
最近、寒くなってきたなあ…
ほたるがそう感じたのも当然で、季節は晩秋を目前としていた。日中はそれ程でもないが、早朝や日没後に感じる風は少し肌寒い。
面倒くさいことであるが、ほたるは夏物の衣料をしまって、冬物の準備を始めた。本当に面倒くさいことではあるが、寒いのは嫌いだったから、渋々と準備を始めた。今年の冬は、去年よりも寒くなるような気がしたから。
「これ…」
白い毛糸で編まれたフード付きのジャケット。それを手にして、ほたるの時が数秒間停滞した。複雑に編みこまれたパターンの、その手触りを確かめるように、ほたるの指がゆっくりとなぞる。
「…これって、辰伶からの初めてのプレゼントだったんだよね」
懐かしい記憶。これをくれた時は、まだ12月にもなっていなくて、辰伶は『少し早めのクリスマスプレゼントだ』と言った。プレゼントという割には、包装もリボンも何も無くて。
「あ、そうか。俺って、この頃から辰伶のこと好きだったんだ」
卒然として、ほたるはそんなことに気付いた。
ほたるがこの屋敷の離れで暮らすようになって、最初の冬のことである。異母兄との生活は、当初危惧したほど困難なことはなく、寧ろ良好な関係を築き上げていた。
ほたると辰伶は同じ高校に通っていた。本来なら辰伶が1学年上になるが、事情により同じ学年である。クラスは違ったが、いつも一緒に登下校していた。別に約束したことは一度も無かったが、何となくそうなっていた。
「ほたる、少し寄ってもいいか?」
「いいけど」
めったに寄り道などしない辰伶が立ち寄ったのは、大型の手芸専門店だった。辰伶と手芸の関係が結びつかなくて、ほたるは驚きを通り越してひたすら疑問符で頭の中を一杯にしていた。
そんなほたるの戸惑いに気付きもせずに、辰伶は店員に毛糸のコーナーを尋ね、案内してもらっていた。ほたるは無言でついて行くしかなかった。
毛糸と一口に言っても材質や太さなど色々と種類があって、それぞれにまた多くの色があったから、コーナーに並ぶ毛糸は実に多彩であった。辰伶は店員のアドバイスを聞きながら、それらを物色している。
「ねえ、毛糸なんて何にするの?」
堪り兼ねて、ほたるは辰伶に尋ねた。棚に並ぶ毛糸を目で順に追いながら、辰伶はボソリと答えた。
「…編み物をする」
「そんな趣味があったんだ」
「いや、これから始める」
当時、ほたるの記憶にある辰伶は、やたらと何にでも興味を持ち、どんな事にも片っ端から挑戦していた。パソコンや英会話など将来役に立ちそうなものもあれば、単車のカスタマイズといった普通の若者らしいもの、或いは日本舞踊や笛などの伝統芸能など、それらは凡そ脈絡はなく多種多様だった。それらを始めたきっかけも多種多様で、さて、この編み物はどういう経緯で辰伶の琴線に触れたのだろうか。
「何で急にそんなことする気になったの?」
「……」
辰伶のこの沈黙は、ほたるには意外だった。辰伶が己の趣味について語る時は、普段の彼には無い陽気さで、こちらが尋ねる以上のことまで勝手に喋るほどの饒舌振りになるからだ。
「何? 不本意なの? どんな理由があるのか知らないけど、やりたくないことなんか、やらなきゃいいじゃない」
「やりたくないとは言っていない」
「の、割には楽しそうじゃないじゃないね」
観念したように、辰伶は大きく息を吐いた。
「歳子に乗せられた」
歳子は辰伶の、謂わば幼馴染だ。壬生一族同士だが歳子は木派であり、水派の辰伶とは流派は違う。しかし、辰伶の師である吹雪が水派と木派の頂点である為、互いに良く知っていた。その上、小学校から中学、高校に至るまで同じ学校に通っており、辰伶が壬生一族としての力を失ってからも、交流は続いていた。
「昼休みに図書室に本を返却しに行ったら、係りの歳子がカウンターで編み物をしていた。暇な時なら、まあ、それも良かろうが、俺がカウンターの前に立っても無視して編み物に没頭しているものだから、当然、文句を言った。そこから口論になって、気付いたら…」
「編み物を始めることになってたわけ? …ありえなくない?」
「…ありえないよな」
辰伶自身も釈然としないものがあるようだ。
「意中の男へのクリスマスプレゼントだから邪魔をするなというのだが、そんなのが仕事をサボっていい理由になるか? だから俺はそんなくだらんことでサボるなと言ったんだ。そうしたら、編み物のどこがくだらないだの、くだらなくないだの、そんな話になって…」
「解かった。歳子が『編み物したこともないくせに、偉そうなこと言うな』みたいなこと、言ったんじゃない?」
「……」
「で、辰伶は『そこまで言うならやってやる』みたいなこと、言ったとか。 …ねえ、黙ってるってことは、図星?」
そのようだ。辰伶が見かけによらず単純な性格であることを、ほたるはこの頃には既に把握していた。
「バカじゃないの?」
「…何とでも言え。ここに至った経緯はどうあれ、俺は編み物に全力を尽くす所存だ。ふん…編み物ごときで、この俺が畏れ入ると思うなよ」
意外に子供っぽいところがあるなと、ほたるは隣で毛糸を選んでいる異母兄を見て思った。
辰伶がやたらと多趣味なのは、もともとそういう性質なのだろうと、これまでほたるは思っていたが、今なら解かる。ほたると暮らし始めた頃の辰伶は、壬生一族としての力を失って、それに代わって打ち込める何かを必死に模索していたのだろう。
ほたると違って辰伶は厭き易い性質ということはない。人よりも多少は器用だったのかもしれないが、辰伶は熱中した時の集中力が凄まじいこともあって、どの趣味事についてもそこそこ物にしていた。
細かい作業や単調な繰り返し作業を苦にしないし、手間の掛かることも面倒がったりしない。何よりも基本を疎かにしない。辰伶のそういう性格が、毛糸を編むという作業には向いていたらしく、そうしてできたのがこの手編みのジャケットだ。これが編み物を始めて数ヶ月の人間の作品とは誰も思うまい。
この時辰伶が編んだのは、この白いフード付きのジャケットの他に、ブルーのマフラーを1本、淡いピンク色のカーディガン、それと色違いでラベンダー色のカーディガンだった。マフラーは手始めに練習として編んだのだろう。カーディガンはそれぞれ歳子と歳世に。思い出して、ほたるは微笑を浮かべた。
「俺のが一番、手が込んでたんだよね…」
誰が見ても一目瞭然で、それは複雑なパターンが編みこまれていた。フードの分もあって、使用した毛糸の量も他のものより多い。それはほたるの為に費やされた時間が一番長かったということだ。これをプレゼントされた時、それがことのほか嬉しかった。その時の感情がほたるの中で鮮やかに再現され、それゆえの微笑みだった。
変な話だが、辰伶が誰かと恋に落ちて結婚したとしても、それでも辰伶にとっての1番は自分であると、ほたるは思っていた。それは異母弟という条件つきで、ほたるがその領域を逸脱しない限り、辰伶の1番は自分だと確信していた。
どうしてそんな風に思っていたのか、今ではさっぱり判らないのだけど。胸に鋭く突き刺さるような痛みは、ほたるに何も教えてはくれなかった。
辰伶が編み物をしたのはその時が限りで、彼の一生の趣味にはならなかった。というわけで、この話はこれで終わりということになるが、もう1つ付随するエピソードを紹介しよう。
「でね、歳世ちゃんてば、辰伶の誕生日合わせでマフラーを編んでたのよ。でもぉ、辰伶の編んだカーディガン、あれ見て挫折しちゃったの。まあ、辰伶のと比べるまでもなく、あのマフラーの出来だったら渡さなくて正解と思うけどね。辰伶よりも歳世ちゃんのほうが、気が短くて不器用なのよ」
以上、歳子談。
おわり
(05/11/22)