14.立場
「すみません、例の話ですが……、ええ、進めて頂きたいと思いまして。……はい、少し心境が…変わりまして。……はい、叔母様もお元気そうで……いえ、こちらこそ。宜しくお願いします。失礼します」
通話を切り、ベッドに腰掛けたまま携帯電話をベッドサイドのテーブルに置く。その時漏れた溜息は、辰伶の意識したものではなかった。
終わった、という思いが、溜息という形で辰伶から漏れたのだ。それは達成感とは無縁の感慨で、空虚となった身体を投げ出すようにして後ろへ倒れた。ベッドのスプリングに受け止められて、上下に2、3度小さく揺すられる。
仰向けに寝転んだまま、視界を遮るように左右の手の指を目の上で交差させて組む。その時、目蓋に触れた異物の硬さに、辰伶は左手の中指に嵌った指輪の存在を思い出した。
「そうか。これはペアリングになるわけか…」
天使の翼が抱くジルコニアが聖らかな光を湛えている。これと対となるリングは蝙蝠の羽がオニキスを抱いた意匠で、それは異母弟であるほたるの指にある。昨日、初めて辰伶はほたるの気持ちを知った。異母兄である自分に恋愛感情を抱いていると、その苦しい胸の内を貪る様な激しい口付けで思い知らされた。
「俺としたことが迂闊だった。まさか、ほたるがそんな想いでいたとも知らずに…」
ほたるの指輪は辰伶が誕生日祝いに買い与え、辰伶の指輪はほたるから贈られた。
「まるで、デートみたいな日だった…」
辰伶は指からリングを抜き取った。ジルコニアを透明な光が寂しく掠め、辰伶の手の中に固く握りこまれた。
ほたるは大きく目を見開き、手にしていた箸を取り落としてしまった。茶碗や皿が無作法な音をたてる。
「…今……何て……」
「だから、見合いをすることになった、と」
事も無げに、辰伶はほたるに告げたことを再度繰り返した。平素と変わらぬ綺麗な箸使いが憎らしい。
「…何で?」
「前から幾つか話はあったんだ。いずれ誰かと結婚はすることになるのだから、こういう機会には積極的な姿勢で臨むべきかと思ってな」
「そんな取って付けたような言訳、聞きたくないよ。ホントのこと、言ったら?」
声に苛立ちを孕ませて、ほたるは言い捨てた。この期に及んで欺瞞的な異母兄の態度は、ほたるの怒りに火をつけた。
「ついこの前まで、見合いなんて全然興味なかったくせに。…俺が辰伶のこと好きって言ったからって、だからって当てつけみたいに急に見合いなんかしなくたっていいじゃない」
「当てつけか…」
ほたるの憤りに燃える視線を、それとは正反対に辰伶は冷めた瞳で受け止めた。唇に浮かべられた笑みが、彼を酷薄な印象にしている。
「ほたる、お前は子供が産めるか?」
予想もしなかった辰伶の言葉に、一瞬にして怒りを忘れ、ほたるは唖然とした。
「…見れば判るでしょ。男が子供なんて産めるわけないじゃない」
「ああ。一目瞭然だ。つまりは、そういうことだ。俺に必要なのはこの家に跡継ぎを提供できる能力を持つ者だ。最初から話にもならん。早く目を覚ますんだな」
食事を終えて、辰伶は席を立った。独りほたるを残して、辰伶はダイニングを出て行った。ドアが閉まる硬い音が虚しく響いた。
「えーと…」
この恋が実るなんて、端から信じてはいなかった。想い続けるだけの、沈黙の恋で構わないと、ほたるは思っていた。それでも、こんな終わり方は望んでいなかった。
「もうちょっとさあ、マシなフリ方してくれたっていいと思うんだけど」
こんなのって、アリ? ほたるは深く溜息をついた。
「こんなことなら、キスだけじゃなくてイロイロやっちゃえば良かったなあ」
この夕食の席で、辰伶と顔を合わせたその時に、ほたるは気付いていた。辰伶の指からエンジェルリングが消えていることを。
「涙も出やしないよ…」
対のリングは、未だほたるの指にあるというのに。片割れを無くした孤独なそれを、ほたるはそっと掌に包み込んだ。
おわり
(05/11/15)