09.酷似


 このところさっぱり依頼が無い。外は雨。気怠い雨音に閉塞されたリビングの、接客用のソファでうたた寝するほたるは、見るからに暇だった。暇で、平和で、怠惰な時間が無駄に費やされている。

「ずっとこうだといいなあ…」
「いいわけねーだろ」

 声と同時にソファから蹴り落とされた。床に転げ落ちた恰好で、ほたるは見上げた。そこには彼の師匠である遊庵が腕を組み、仁王立ちにほたるを見下ろしていた。

「乱暴だなあ。何か用?」
「てめえ、いつまで辰伶とデートしてる気だ」
「え?」
「仕事用電話、1ヶ月近く留守電にしたきりだろ。携帯電話も電源切ったままにしやがって」
「あー…そういえばそうかも。あ、留守電何か入ってる。…どうしよう。100件超えてるんだけど、聴くのめんどくさいなあ。消していい?」
「ちゃんと聴け! 依頼が入ってるかもしれねーだろ。ったく、営業努力以前だぞ。てめえ、ここんとこ収入ゼロじゃねーか。普通だったらとっくに乾涸びちまってるとこだ」

 煩いなあと思いながら、再生ボタンを押す。

『ただ今留守にしております。発信音の後にメッセージをどーぞ。たぶん聴かないけどね。今日は辰伶とデートだから依頼は受けないよ。ケータイも電源切っとくから。あっ、辰伶のケータイ鳴らしたら殺す!』

「あ、間違えた。こっちのボタンだった」
「ふざけたメッセージ入れてんじゃねえよ」

 真剣に考えて吹き込んだメッセージだったんだけど。ほたるはボタンを押しなおした。まずは、1件目…

『仕事しろよ』

「誰だろう。名前も言わないなんて、れーぎを知らないってゆーか、じょーしきが無いってゆーか、オトナゲないってゆーか、言ってることも余計なお世話ってゆーか」
「俺だ。てめーの師匠の声くらい覚えとけ」

 2件目。

『歳子でーす。デートだなんて、貴方達いつからデキてましたの? 2人とも恋愛なんて興味なさそうでしたのに、フェイクだったんですかぁ。それで、どこまで進んでますの? こんどお茶でも飲みながらゆっくり聴きたいですわ』

「全然進んでないし、何にもデキてない」
「つーか、男同士とか異母兄弟ってことにはコメント無しかよ」

 3件目。

『…辰伶を不幸にしたら赦さない』

「歳世だね」
「歳世だな。こいつも気の毒だな。気付いてねえの、辰伶だけだぜ」
「辰伶、鈍感だからね。一生気付いて貰えないと思う」

 4件目

『…………』

「狂だ」
「はあ?」
「今のメッセージ、絶対、狂だよ」
「メッセージって、単なる無言電話じゃねーか。何で狂だって判るんだよ」
「俺の狂アンテナが反応してるから」
「…てめえ、俺の時は声聴いても判らなかったくせに」

 5件目

『お久し振りですね。アキラです。何ですか? このふざけた留守電メッセージは。貴方、メッセージを聴く気がないのなら、初めからセットしなければいいんじゃありませんか? 本当に無駄なことをしてますね。まあ、貴方が仕事に対して全くやる気がないというのは、とても伝わってきますけどね。それにしても、恋愛にうつつを抜かしているなんて、本当に下らないですよ。しかも 、あ』

「しかも、何?」
「こいつメッセージが長すぎて、途中で切れてやんの。だっせー」

 6件目

『失礼しました。途中で切れてしまいました。アキラです。大体、貴方のメッセージが悪いんですよ。私は貴方がどういう人間か知ってますから、こうしてきちんと相手をしてますけど、普通はあんなの聴いたら誰もメッセージなんて入れませんよ。本当に、私が依頼人なら怒って電話を切りますね。それにしても珍しいですね。貴方が恋愛にうつつを抜かすなんて、しかも、あ』

「だから、しかも、何?」
「おんなじトコで切れてやんの。学習能力ねえなあ」

 7件目

『すみません。また切れてしまいました。アキラです。どうもいけませんね。単刀直入にいいますと、相手は貴方の異母兄じゃないですか? 正気ですか? まあ、当人の自由ですから私は何も言いませんが、はっきり言って異常ですね。昔の仲間に変態が2人もいるなんて、本当に嘆かわしいですよ。変態は灯1人で十分… ドカッ ガシャン パリン …………』

「…何が起こったんだ?」
「俺、何となく解かった」

 8件目

『灯ちゃんですv やったわね、ほたる。灯ちゃんも狂のお嫁さん目指してがんばるから、応援ヨロシクネvv』

「アキラ、生きてるかな…」


 留守電のメッセージが100を超えたころには、2人ともとっくに聞き飽きて、ソファにだらしなく寝そべっていた。

「依頼…無いね」
「てめーらの応援か冷やかしばっかだな。ヒマ人どもめ」
「やっぱり全部消しちゃえばよかった」
「今なら止めねえぞ。やっちまえ」
「うん……あ、もう最後みたい」

『ほたる…』

 突然の、聞き覚えのある声。ほたるは飛び起きた。この声は…

『酷い奴だな。俺の気持ちは知っているくせに、そんなにあいつがいいのか』

「おい、螢惑。この声、俺には辰伶の声に聞こえるんだが…」
「……」

 違う。そっくりだが、これは辰伶の声ではない。ほたるには判る。

『遊庵様、初めまして。名前が無いので、名乗れませんが』

「…って、おい! 留守電じゃなかったのかよ」

 遊庵も起き上がって電話に向かって怒鳴った。

『螢惑…良い名だな。忌まわしくて、不吉で、凄惨な音だ。気に入った。俺もこれからは螢惑と呼ぶことにしよう』

「おい、出てきやがれ」
「遊庵様、お初にお目にかかります」

 声の方を振り返ると、扉の前に辰伶が立っていた。いや、辰伶ではない。姿形を辰伶そっくりに真似た妖魔だ。

「こりゃ驚いたな。本物が隣に並んでたって、見分けがつかねえぜ」

 遊庵は感心したような声で言った。ほたるは眉間に厳しく縦皺を作る。

「その姿で俺の前に現れたら、燃やすって言った筈だよね」

 妖魔は辰伶のように笑みを浮かべた。そんなどこか憂い隠すような仕草までそっくりだ。ほたるは余計に腹が立った。

「やってみたらどうだ? お前にその力があるなら。…出来るわけが無い。化け猫なんぞに能力を喰わせてるから、大した炎は出せないんだろう」
「……」

 遊庵はほたるを見遣った。ほたるは無言で妖魔を睨み続けていた。ほたるに代わって、遊庵が言った。

「てめえは何しに来やがったんだ? 俺に挨拶するためかよ」
「ええ。太四老・遊庵様」
「ご丁寧なこった。優等生なのは、辰伶に化けてるせいか?」
「これが私の本質ですと言ったら、信じて頂けますか?」
「さあてな。何せ初対面だからなあ…」

 惚けた会話をしているが、遊庵に隙は無い。太四老の名は『一応』ではないのだ。

「螢惑、最近は依頼も無くて暇だろう。お前の為にゲームを用意して来た」

 ほたるは大きく溜息をついた。

「大きなお世話だよ。お前の考えたゲームなんて、どうせろくなことじゃないんでしょ。ヒマで結構だから消えて」
「今日は退散するさ。どうやら日が悪そうだ」

 妖魔はチラリと遊庵を見た。太四老の力を決して過小評価してはいない。だからこそ手強いのだ。この妖魔は。

「近いうちに、また来る」

 そう言い残して、妖魔は煙のように姿を消した。もう何の気配も無かった。

「てめえも厄介なのに見込まれたな」
「……」

 ほたるは身動ぎもせず、無言のまま妖魔が消えたあとを睨みつけていた。来るなら来ればいい。母を殺し、辰伶を苦しめ続ける妖魔を、ほたるは決して赦さない。

 あの妖魔だけは、必ずこの手で。声にしないほたるの決意を、単調な雨音が聞いていた。


 おわり

(05/10/11)