大切な人だから
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螢惑と辰伶はバスと電車を乗り継いで帰った。普段であれば乗る電車の時間をずらすなりして、2人が一緒にいるところを目撃されぬよう気を配るのだが、何だか今日は離れ難かった。駅から家まで、2人並んで歩きたかった。
「螢惑」
「何?」
「すまないと思っている」
このパターンは辰伶がまた益体もないことを考えているに違いない。螢惑は聞く前から溜息をついた。
「…何が?」
「お前を家族に紹介してやれなくて」
本当にもう、凄いバカだ。
「紹介も何も、辰伶の家族は俺の素性とか全部知ってるじゃない」
「そうだが…そうでなくて……お前は俺を恋人としてきちんと紹介してくれたのに…」
「辰伶と俺じゃ、状況が違うからいいよ」
「だが、誠実でないのは俺の方だ」
結局は辰伶の気持ちの問題だから、螢惑が何をどう言っても無駄なのだ。融通の効かない頑固者には困ったものだ。辰伶は螢惑との未来を実現するのに必要だから、正直で誠実でありたいという本来の信条を曲げてくれているのだ。だから引け目を持つ必要はないと螢惑は考えるのだが、それが辰伶には通じない。
「それに、俺はお前にあんな家庭を作ってやれないし」
「はぁ?!」
この飛躍には、さすがの螢惑もついていけなかった。
「…あんな家庭っていうのは、ゆんゆんの家のこと?」
「あれがお前にとっての『家族』だろう?」
「まあ、そうだけど…」
「俺の知っている『家族』とは全然違う。俺はきっとお前の望むような家庭は…」
「ちょっと待って!」
これ以上、聴いていられない。螢惑は無理矢理辰伶の話を遮った。
「俺がいつ『家族が欲しい』とか『家庭が欲しい』とか言ったんだよ。ていうか、辰伶はどんな家族とか家庭が欲しいの?俺だって無理だからね」
「俺はお前さえいれば…」
「だから、俺も同じだって、どうして解らないんだよ。俺が欲しいのはカゾクでもカテイでもない。辰伶が欲しいんだよ!」
「バカ、そんな大声で」
「バカはお前だよ。誰のせいで大声だす破目になったと思ってるの?」
なおも何か言おうとする辰伶の唇を、螢惑は掌で無理矢理塞いだ。本当はキスで塞ぐとか、カッコよく決めたかったが、外なのでやめておいた。
「辰伶は俺の為に人生を棒に振ってくれるんでしょ。それだけで俺は辰伶の払う犠牲には何をしても贖えない」
「もが…」
「黙って俺の話を聴いて。朔夜の占いのいう破滅がどんな状態か解らないけど、辰伶が酷い目にあってるのに俺が助けようともしないなんて、ちょっと考えられないんだよ。あり得るとしたら、その時には俺は辰伶の傍にいないってことじゃないの?」
辰伶が落ち着いたようなので、螢惑は掌を外した。
「じゃあ、何で俺は辰伶の傍にいないの?可能性は2つだよね。1つは俺が心変わりしたから。もう1つは俺が動けないから。死んでるとか、病気や怪我とかね」
「螢惑っ」
辰伶はそんなことは考えもしなかった。破滅の運命が自分だけならいい。けれど、それは螢惑も巻き込むものだったらと思うとゾッとした。螢惑の身に何かあるくらいなら、螢惑が心変わりして自分が捨てられる方がずっとマシだ。螢惑が不幸になるなら、この恋は成就しなくてもいい。
「俺は辰伶を守りたい。でも、できないかもしれない。だから、そんな時のために俺の代わりに辰伶の味方になってくれる人を用意しとこうと思った。ゆんゆんなら、俺の大切な人を絶対に助けてくれる。俺たちが喧嘩別れしそうになったら叱ってくれるし、俺が辰伶の傍にいない時はゆんゆんが力になってくれる。絶対に」
何て固い信頼だろう。しかし辰伶はもう愚かな嫉妬はしなかった。こんなにも螢惑に愛されているのに、つまらない独占欲を振りかざすなんて心が狭すぎる。
「占師が言っていた俺たちの運命の糸を握る人物というのもあるいは…」
「え?何か言った?」
「何でもない」
遊庵が運命の糸を握る人物なら良いけれど、そうそう都合良くいかないだろう。
運命の糸を握る人物を味方につけろと占師は言っていた。あれから辰伶はなるべく敵を作らないように、人間関係は円満であるように言動には気を付けていた。だがそれは他人の域を出ない。味方とはいえない。
辰伶が家を捨てる時は、家族はみんな敵になると考えていい。味方をつくるというのは存外難しい。それなのに螢惑はいとも簡単に味方を辰伶に作ってくれた。辰伶は螢惑が恋人であることを誇らしく思った。ニンジンも食べてくれたし。
もっと時間を共有していたかったのに、あっという間に家に着いてしまった。辰伶と螢惑は一緒に裏門から入り、螢惑が生活する離れの前に来た。ここまでだ。
どちらからだったのか、別れ際に2人は深く口付けを交わした。こんなところを誰かに見咎められたらまずいことは、頭では解っているのに止められなかった。
「今日は楽しかった」
「うん」
「ありがとう」
名残は尽きないけれど、ずっとこうしているわけにもいかない。辰伶は母屋へ帰るべく、螢惑に背中を向けた。
「辰伶!」
名前を呼ばれて振り返ると、カメラを構えている螢惑に写真を撮られた。
「俺がこのカメラで一番最初に写すのは辰伶って決めてたから」
「…だからって、いきなり…」
堂々と、なんて恥ずかしいことを言うのだろう。辰伶は羞恥に頬を染めたが、悪い気はしなかった。
その様子を陰で見ている者がいることに、2人は気づかなかった。
おわり