カタチじゃないよ
例の噂、辰伶とその異母弟に纏わる醜聞が、辰伶の母親の耳に入ったのは事件から凡そ3日後で、その頃には『2人が1人の女性を巡って殴り合いの喧嘩をした』という内容になっていた。噂は当てにならないが怖い。
辰伶の母親は如何にも心外だとばかりに、『そんな女などあれにくれてやりなさい』と言った。その、人を人とも思わぬような言いように辟易しつつも、辰伶は『そうですね』とだけ返した。現実には存在しない女のことで母親と争うなど不毛だ。とにかく、螢惑との関係がばれなければいいのだ。螢惑とは不仲だと思われるのはむしろ好都合だ。
学校でも色々噂されているようだったが、辰伶に面と向かって事実関係を聴きだそうとするような人物はいなかった。辰伶自身が何も語らぬので周囲はますます好奇心を大きくし、噂は無責任な尾鰭をつけて拡大していくのだろう。辰伶とて衆人の好奇の目にさらされ続けるのは気持ちのいいことではない。しかし事実が露見するのはもっと困ることで、要は螢惑さえ守れればいいのだと、辰伶は割り切ることにした。それでも気疲れでついつい溜息が多くなる。
「辰伶、大丈夫か? 顔色が悪いようだが…」
クラスメイトの歳世が心配そうに声をかけてきた。実際のところ辰伶は体調が万全とは言えなかった。
「大丈夫だ。寝不足気味で、少し疲れがたまっているだけだから」
「それは……やっぱり恋の悩みとか…」
「俺が恋なんかで眠れないほど悩むわけないだろう。忙しくて睡眠時間が足りていないだけだ」
辰伶のその答えは歳世を安堵させたが、前の席でそれを耳にした歳子は釈然としなかった。以前に彼が言ったことと、明らかに矛盾している。恋の悩みくらい自分にもあると言ったその口で言うか…
「そうだった。歳世、ノートをありがとう。…無断で借りてしまって、悪いとは思ったのだが…」
そう言って謝ると、歳世は首と両手を激しく振った。
「無断だなんて。約束はしていたのだから、決してそんなことは。きちんと渡さなかった私の落ち度だ。辰伶が謝ることなんてないのだ」
「そう言ってもらえて安心した。ノート、とても助かった。恩に着る」
「恩だなんて大袈裟な。私こそ辰伶の役に立てて本望だ」
「本望とか、歳世こそ大袈裟だな」
案外、似たものカップルで良いのではないかと歳子は思う。
「これはノートのお礼なのだが…」
辰伶は鞄の中から映画のチケットを2枚取り出した。
「今週末の日曜日は予定が空いていると、歳子から聞いて用意したのだが…」
私から聞いては余分だと、歳子は心の中で毒づいた。映画のチョイスも歳子だ。辰伶が余りに疎いので、一応、歳世の親友である歳子としては口を出さずにいられなかった。でも、ここまで漕ぎつければ、目的地が映画館なだけに自然とデートっぽくなるだろう。
「良かったら、歳子と一緒に行って来たらいい」
「はぁ?」
予想外の展開に歳子は素っ頓狂な声をあげて振り向いた。
「どうして私が一緒にいくの!」
「1人じゃ行きにくいかもしれないと思って」
だったらお前が行け!と歳子は心の中でつっこむ。
「私はダメよ。その日は用事があるから」
「じゃあ、他に誰か一緒に行ってくれそうな人はいないだろうか」
お前が行け!と再度つっこむ。元はと言えば、歳世と辰伶をデートさせてやりたくて歳子が画策したことなのに。それがこれでは台無しだ。歳世が落胆していないか、歳子は彼女の様子をうかがった。ところが予想に反して歳世は喜色満面に言った。
「歳子が行けないなら、2枚とも私が貰ってもいいか?」
「いいけど、歳世ちゃん、他に誰か誘う相手でもいるの?」
(……きこえますか…歳世ちゃん………今… あなたの…心に…直接… 呼びかけています… 辰伶です…辰伶を誘うのです…)
「1枚は映画を楽しませてもらって、もう1枚はアルバムに貼る。せっかくの、辰伶からのプレゼントだからな」
歳世は聡明な人間だが、辰伶を前にするとどこかのネジが抜け落ちるらしい。
「歳世ちゃんがそれでいいなら、いいですけど…」
歳子の言葉に歳世はハッと気づいた。
「そうだな。アルバムではなくて、額に入れて飾るべきだ」
「歳世にこんなに喜んでもらえるなんて思わなかった。歳子、良いアドバイスをありがとう」
「え、あ、ああ、うん…」
あまりのことに歳子は咄嗟につっこむことも毒づくこともできなかった。似たものカップルだが、この2人はダメかもしれないと歳子は思った。
辰伶はお礼の品を喜んで貰えてホッとしていた。螢惑にはプレゼントを拒否しまくられていたし、最近も喫茶店の女子高生占師の自尊心を傷つけるような真似をしてしまったところだったので、人に物を贈ることに自信を無くしていたのだ。
あれから辰伶は真剣に考えた。プレゼントなんて『ほどこし』と同じだと、螢惑は思っているのかもしれない。だから受け取ってもらえないのかもしれない。勿論、贈る側である辰伶はそんなことは微塵も思っていないのだが、大事なのは受け取り手の感情だ。
最初は単純に、好きな人の誕生日に何かプレゼントを贈りたいと、ただそれだけのことだった。それはとても人並みに普通なことだと思っていたので、まさか拒絶されるなんて、辰伶はゆめにも思っていなかった。
螢惑の気持ちを量りかねた辰伶は、よく解らないままに、贈った物が気に入らなかったのかと思った。好きな物や欲しい物はないか、螢惑に直接聞いてみたりもした。返事はというと、螢惑は『好きなものも欲しいものも、とっくに貰っている』と苦笑いして、そのままベッドに押し倒された。
所謂『女役』の方が『あげた』ことになるのかもしれないが、辰伶は納得がいかなかった。螢惑とのセックスは互いが互いを求め合ったうえでのことで、それは決して一方的ではないはずだ。螢惑が『貰っている』なら、辰伶だって『貰っている』のだ。だからソレは辰伶の考えではプレゼントになり得ない。
螢惑がアルバイトを増やした時にも、辰伶は自分が力になれないか聞いてみた。この場合の力とはお金のことだ。螢惑はやはり苦笑いして、欲しいものは自分で手に入れる主義だと言った。そして、父親の金で手に入れるのは嫌なのだときっぱり言った。
そこでやっと辰伶は気づいたのだった。螢惑は可能な限り父親の世話になりたくないのだ。思い返してみれば、誕生日プレゼントを拒否されたときも、螢惑は『どうせ親から貰った小遣いで買ったのだろう』と言ったのだ。
ならば辰伶が自力で得た金で買った物なら受け取ってもらえるに違いないと、短絡的に考えたのだが、思った以上に金を稼ぐという行為は難しかった。そして物を与えるという行為は、場合によっては相手の尊厳を傷つけることもあると知った辰伶は、更に深く考えることとなった。
そもそもどうして自分はこんなにも螢惑に何かしたいのか。辰伶はそこからまず考えてみた。螢惑を喜ばせたい。螢惑の助けになりたい。辰伶が望むのはそれだけだ。
螢惑の気持ちを無視して自己満足に浸るのが目的ではない。螢惑が本当に喜んでくれるものは何か。何をしたら螢惑の助けになるのか。色々と真剣に考えた結果、辰伶は1つ思いついた。
朝ご飯はどうだろうか。
そう思ったきっかけを思い出して、辰伶は頬が熱くなった。あれは初めて螢惑のベッドで朝を迎えたときのこと。普段は螢惑との関係を気づかれないために逢瀬のあとは早々に母屋の自分の部屋に帰らなければならないのだが、その日は両親共に家に不在だったので、螢惑の腕の中でそのまま眠りについた。実際は加減を忘れた螢惑のせいで失神していたのだが、初めて朝まで螢惑と一緒に過ごせたことで幸せに浸っていた辰伶にとってはどちらでも同じことだ。気怠いまどろみの中で螢惑の寝顔を眺めていた。
やがて目覚めた螢惑はまだ寝ぼけているのか言葉も仕草もフワフワしていて、辰伶は愛しさのあまり彼の頬にそっと掌を添えると、どちらともなく距離が縮まってキスをした。優しいキスを繰り返すうちに、いつしかそれは情熱的なものへと変化していた。さすがにこれ以上はまずいと思い、螢惑の肩を軽く押して体を離そうとした途端に、強く手首を掴まれて、逆にもっと密着して螢惑の身体の下に敷き込まれてしまった。昨夜の行為で疲弊していた身体はろくに抵抗することもできなかった。どんなに抗議しても、泣いて許しを乞うても、全く聞き入れてもらえなかった。
『…辰伶のせいだからね…』
結局それが決定的にとどめとなって、辰伶はその日は登校できなかった。それについては螢惑も反省したらしく、平日の夜は彼なりに自制しているようだ。しかしあまり自制できていないようで、このところの辰伶の体調不良の原因となっている。もっとも辰伶は自制など求めてはいないので、螢惑1人の責任ではない。
話が逸れた。螢惑に抱きつぶされて起き上がれなくなった辰伶は、螢惑が登校したあとも彼のベッドから出られずに、耐えがたいような空腹に苦しんでいた。螢惑が枕元にミネラルウォーターのペットボトルを置いていってくれたお蔭で渇きを潤すことはできたが、手の届く範囲どころか部屋の中に食べ物は何もなかった。
やがてどうにか歩ける程度に回復したので、炊事場を探ってはみたが、冷蔵庫の中にもろくなものは無かった。しかたがないので辰伶は身支度を整えて母屋へ帰り、使用人に朝食を用意させて空腹を満たしたのだが、この有様ではきっと螢惑は朝食を抜いて登校しただろう。それも今朝だけのことではあるまいと辰伶は推測した。螢惑の健康が心配だ。
そこで辰伶は螢惑に朝食を用意することを思いついたのだ。螢惑の健康を考えてのことだが、ひょっとしたら登校途中でコンビニなどによって何か食べるものを調達しているかもしれない。それなら朝食代を浮かせることで螢惑を経済的に助けることにもなる。
問題は螢惑がそれを素直に受け取ってくれるかどうかだ。螢惑への食事は基本的に使用人が母屋から運んでくることになっているのだが、螢惑がそれを拒否しつづけたために今ではそれは無くなった。というか、辰伶が止めさせたのだ。無駄だから放っておけと使用人たちには言ったが、螢惑との逢瀬を邪魔されたくないというのが本音だ。
そういう訳だから、いまさら朝食を運ばせても、螢惑は受け付けないだろう。何とか良い案はないかと辰伶は考えた。そして思い出したのだが、過去に一度だけ、螢惑が食事に手をつけてくれたことがあった。あれは辰伶が手ずから運んで配膳したときだ。ひょっとしたら、辰伶が用意したものなら螢惑は食べてくれるのではないだろうか。それとて突き詰めれば材料等は親の金で準備したものだろうが、手間や時間を費やしたことを評価してくれるかもしれないという歳子の言葉を信じてみようと思った。
そうと決めた辰伶は離れの炊事場にこっそり食材を運び込んだ。炊飯器や調理器具はそろっている。調味料も最低限そろっていたのは、たまに螢惑が自炊しているからだろう。
ここまで螢惑に気づかれずに、上手く事を運ぶことができた。その時になって、辰伶は一番の問題点に気づいた。それは、自分に料理の知識が殆ど無いことだ。生まれてこのかた、まともに料理をしたことなど一度もなかった。それを他人に知られることなくやろうなんて、無謀にも程がある。辰伶が知るまともな朝食を調えることなど無理だ。
それでも計画を捨てきれない辰伶は色々妥協を試みた。
情事の後、いつも通り辰伶がシャワーを浴びている間に螢惑は夜のアルバイトへ出かけて行った。それを確認した辰伶は計画を実行した。炊飯器の使い方は予めインターネットで調べておいた。そうして何とか炊いたご飯でおにぎりをつくり、ポットで湯を沸かしてインスタントの味噌汁を添えておいた。それが現時点での精一杯だった。
螢惑の為に朝食の支度を終えた辰伶はそれきりで母屋の自分の部屋へ帰ってしまうので、それを螢惑がちゃんと食べてくれたかどうか確認ができない。それもあまり出来が良いとは言えないので、迷惑でないか怖くて螢惑に聞くこともできない。螢惑に喜んでもらえているかどうか。それが辰伶には気がかりだった。
場所は変わって佐邨井高校、昼休憩時間である。螢惑はアキラを誘って灯のいる第2生物準備室、通称『尋問室』に行った。
「で、何なんですか?こんなところに連れてきて」
「あら、アキラ、『こんなところ』って、どんなところのことを言ってるのかしら?」
ここ第2生物準備室はこの学校において裏の権力者たる灯のプライベートルームのような場所だ。その主たる灯が天女の微笑みで問い質すのを、地獄の閻魔の裁判を受ける亡者の心持でアキラは聞いた。明らかに失言である。どう言い繕おうか冷や汗をかくアキラを、空気を読まない螢惑が救った。
「ねえ、みてみて」
螢惑が2人に披露して見せたのは、丸めたラップの中から現れた歪な形の、大きさもバラバラなおにぎりだった。それを見せて、いったい螢惑が何をしたいのかが解らず、アキラと灯は困惑していた。戸惑う2人を尻目に、螢惑は上機嫌で持参した水筒の湯を同じく持参したお椀に注いでインスタントの味噌汁を作っている。
「あの、ほたる…これは?」
「愛妻弁当」
幸せそうに味噌汁を啜る螢惑とその手元のヘタクソなおにぎりを、アキラと灯は交互に見てしまう。弁当というには破滅的なまでにお粗末なそれを、螢惑は2人に自慢しているらしい。
「愛妻って、あんたの恋人がそのおにぎりを握ってくれたってこと?」
「うん。このお湯を沸かしてくれたのも辰伶」
「そう。良かったわね」
灯にはそれしか言えなかった。その弁当がどうみても不味そうだなんて、幸せそうに頬張っている螢惑が不憫で言えなかった。それに先日の喫茶店での一件を悪いと思っていることもある。
「あ、羨ましがってもあげないからね。これは辰伶が俺の為に作ってくれたんだから」
「大丈夫です。全然羨ましくないので」
アキラはそっけなく返事した。正直な話、関わりたくない。螢惑らしからぬ螢惑もウザイ。
アキラと灯もそれぞれ昼食を食べ始めた。せっかくの休憩時間を無駄にしたくない。
「ねえ、占いって何?」
螢惑の頭の中ではどのような話が進行していたのか、唐突にそんなことを言うので、アキラと灯は食事の手が止まった。
「朔夜の占い。辰伶に何て言ったの?」
ああ、と灯は得心がいった。辰伶は占いなど信じないと言っていたが、全く気にしていないわけでもなかったようだ。螢惑に何か言ったのかもしれない。
「何か気になることでも?」
「うん……辰伶は家を出るって、ずっと前からそう決めてたって…」
「家を捨てて、あんたを選ぶって言ったのね」
「うん。でも……どんな未来が待ち受けていても、俺のせいにはしないなんて言うんだよ。ねえ、占いの結果が良かったらそんなこと言わないよね。朔夜は俺たちの未来に何を視て、辰伶に何を告げたの?灯ちゃんとアキラは知っているんでしょ」
螢惑の鋭さに舌を巻く思いだ。そして辰伶の情熱と、それをおくびにも出さずにきた想いの深さに、灯は感動していた。やっぱり恋愛はこうでなくっちゃと噛みしめる。
素直に応援したくなる。2人には幸せになって欲しいと思う。しかし灯は朔夜の占いの能力がどれほどのものか知り過ぎるほどに知っていた。残酷な現実に心が傷む。
灯が言えそうもないので、アキラが占いの内容を話して聴かせた。螢惑は朔夜のことはあまり知らないが、灯のことはよく知っている。灯が言うのだから、朔夜の占いは絶対なのだろう。
「そう…辰伶は未来も何もかも捨てていいくらい俺のこと好きなんだ」
螢惑は大きく溜息をついた。
「バカじゃないの?恋愛なんてどうせ終わるものなのに。そんなのと将来を引き換えにするなんてバカ過ぎる」
一瞬にして灯の頭に血が昇った。
「そんな言い方って無いんじゃない?辰伶はあんたのこと真剣にっ」
「うん。辰伶はいつだって真剣だし、すごく一途に想ってくれてるのは知ってる。それでも無理だって、朔夜が言ってるんでしょ。朔夜がそう言ったならそうなんでしょ」
「そうだけど…」
「ほら、バカじゃない。幸せになれる未来を捨てて、絶対に壊れる恋愛を取るなんて。あげくにこんなヘタクソなおにぎりまで作って…」
「ヘタクソなのは認めてたんですね」
「アキラ、形なんてどうでもいいんだよ。心がこもってるんだから」
アキラは少し怯んだ。そんな正論が螢惑の口から聞けるとは思わなかった。恋は人を変えるというが、螢惑はまるでアキラの知らない人間のようだ。
「つい手加減を忘れちゃうから、辰伶にはいつもすごく負担がかかってると思うけど、それでも無理して作ってくれたおにぎりなんだよ。形とか味なんてどーでもいいよ」
味もダメなのか…と思ったが、アキラはもう何も言わないと決めた。とにかくこのヘタクソなおにぎりには並々ならぬ愛情が込められていて、螢惑はそれを余すことなく受け取っているのだから。アキラは初心に帰って、これ以上関わらないでおこうと思った。これ以上、友人の性生活や下半身事情など察したくない。そう思っているのに…
「え、あんたたち、もうそんなとこまで進展してたの?教えなさいよ」
灯は興味津々だ。アキラは天を仰いだ。
帰宅の電車の中でアキラは疲れていた。灯のせいで、聞きたくもなかった話をお腹いっぱい聞かされてしまった。螢惑もあの鉄面皮で生々しい話を明け透けに語るので、同性だろう、血縁だろうと罵りたくなった。普通、隠すだろう。差別する気がなくても差別して迫害したくなる。
アキラとて色事に興味がないわけではないが、螢惑の抱える事情は頭痛がしそうに複雑で、しかし面倒だと突き放せるほど薄情になれそうにない。螢惑は仲間で、やっぱり仲間が傷つくのは嫌なことで、できたら幸せになって欲しいのだ。けれど螢惑は自身が傷つくことをなんとも思わない無謀なところがあるから、それに深く関わるのがアキラは怖いのだ。
それなのに、アキラと同じ車両内にもう1人の当事者が乗り合わせていたのは、もう皮肉というよりは悪意ある運命の嫌がらせだった。辰伶もアキラに気づいた。今度はアキラが螢惑の関係者であることを覚えていた。
「この前は喫茶店で迷惑をかけた。すまなかった」
辰伶はアキラの隣に来て、簡潔にそれだけ言った。前から思っていたが、螢惑と違って常識的でまともな印象の人だ。こんなまともそうな人が、どうして螢惑と恋仲になどなったのか、改めて疑問に思ってしまう。しかも体から始まった関係だというのだから、本当に見かけによらない。体からって、まさかほたるが無理強いしたってことはないよな。そこからなし崩しって、あいつ高校生でどんなテクしてんだよ…
生々しく聞かされた話の当事者を前にして、アキラはつい要らないことを考えてしまった。だからあんな話は聞きたくなかったのだと、心の中で螢惑と灯に抗議した。その思考が辰伶に視えるわけでもないのに一方的に気まずい。その落ち着かない空気を払拭したくて、アキラから話を振ってしまった。
「喜んでましたよ。お弁当」
「弁当?」
思い当たっていない様子に、おや?と思う。
「あの歪なおにぎりは、あなたが作ったんじゃないんですか?」
「おにぎりって……あれか!」
「学校で自慢してましたけど」
「あれは朝食に用意したもので……まさか、あいつ、あんなものを学校に…!」
羞恥心で辰伶は顔を真っ赤に染めた。そうだろう。螢惑は自慢していたが、とても人前に出せるような代物ではないのだ。
「愛情の味がするって言ってましたよ」
そうは言っていなかったが、螢惑の言いたいことを要約するとそういうことだ。
アキラだって、彼らには幸せになって欲しいのだ。関わりたくはないけれど。
おわり