ムダに言い訳


 欲しい物があるから。そう言って螢惑はアルバイトの時間を増やした。何が欲しいのか聞かなかったが、どうやらそれはとても高価な物らしい。

 螢惑のアルバイトがただの小遣い稼ぎでは無い事を、俺は知っている。俺とは異母兄弟になる彼がこの家で暮らすようになったのは今年の春先からなのだが、俺の母の気持ちに配慮して、母屋とは隔絶した離れに独り住まわされている。口幅ったい言い方をすれば厄介者扱いだ。父と言えば面倒事を厭う様子があからさまで、息子を庇ってやりもしない。俺にしたところで母の顔色を窺うばかりで、肉親を亡くしたばかりの異母弟を労わってやることもなかった。今だって、決して表立って味方してやれない立場だ。

 その仕打ちが螢惑の心を頑なにしてしまったのだろう。住居と学費以外の金銭的な一切を父から受け取る事を拒否した。小遣いは言うに及ばず、出された食事にさえ手をつけないらしい。…一度だけ俺が夕食を運んだ時は普通に食べてあったので、このことに気付いたのは、かなり後になってからなのだが。俺の知る限り例外はその1件のみで、螢惑は己の信条を徹底している。誕生日のプレゼントすら、どうせ親から貰った小遣いで買ったのだろうと、受け取ってもらえなかった。

 だから螢惑は、完全とは言えないまでも、生活で必要な物の殆どをアルバイトで得た収入で賄っている。高校生のアルバイト代など高が知れているから、これは大変なことだ。その上で購入費用を貯めようというのだから、それは余程欲しい物なのだろう。

 俺は息子として父の性格を把握しているから言うのだが、螢惑が幾らかの金銭や物品を要求したとして、父が出し惜しみすることは先ず無い。うちの経済状態で言えば、彼が成人するまでの養育費用など大して負担にならないし。

 見ようによっては、意地を張った螢惑が無用な苦労を買い込んでいるようにも見えるかもしれない。実際にその通りなのだが、しかし、その意地を愚かと思う者には、彼の気高い魂を理解できまい。まして、自尊と自信が漲る彼の瞳の、その魅力には到底気付けまい。

 そして俺は、螢惑のその魅力にまんまと篭絡されてしまい、異母兄弟という己が置かれた立場に思いを巡らす余裕も無いほど急激に……恋してしまったのだ。彼に「好きだよ」と言われて、「したい」と求められて、抵抗無く身体を与けてしまった。仕方が無い。螢惑の顔は俺の好み過ぎるのだ。突き詰めるとそこだ。螢惑は顔が良くて、スタイルが良くて、俺的に激しく「アリ」だった。

 顔だけではないぞ。螢惑は声も良いのだ。普段はやる気の無さそうなスッとぼけた喋り方をしているが、ここぞという時には身体の芯に響くような低く甘い声で、俺の理性を蕩かしてしまう。あの瞳に視凝められてあの声に耳元で囁かれて誘惑に勝てる者がいたら、そいつは情緒欠陥者に違いない。

 何が言いたいかというと、螢惑の圧倒的な魅力の前では、同性だとか異母兄弟だとかいう常識はストッパーとして全く役に立たないということだ。螢惑に恋焦がれる気持ちが溢れて、この関係が不自然なものであることを失念してしまう。

 禁忌や背徳という単語に酔って火遊びを楽しんでいるのでは、断じてない。心の奥から自然に湧き上がってくる感情を、素直に汲んだ結果だ。螢惑が魅力的過ぎるのが悪い。真っ当な感性の持ち主なら絶対に螢惑に惚れるはずだ。だから、俺が螢惑に恋してしまったのは、人として当然の現象なのだ。…以上っ!

「辰伶、何か…よそごと考えてる?」
「…ッ……何…も……」
「嘘つき。そうか…まだ余裕なんだ…」

 あらぬ声をあげてしまいそうになり、俺は慌ててシーツを引っ張って噛み締めた。余裕なんてある訳が無い。螢惑の手管に翻弄されて、どうにかなってしまいそうだ。

「…ん…ふっ……んんっ…」

 歯列を割るように螢惑の指が差し込まれ、シーツを外されしまう。間髪無く唇を螢惑のそれに塞がれて、喘ぎ声は彼に飲み込まれる。

 もう何度も身体を重ねている。比べる対象が無いので断言すべきでないかもしれないが、俺と螢惑は相性が良いと思う。初めての時は互いに未経験という男同士としてはハードな状況ながら失敗することなく、互いの身体に満足できてしまった。明け透けに言ってしまうと、最初から気持ちが良かった。これを相性が良いと言わずして何と言おう。

 とは言え、最初の時は色々と無理や無茶があったのも事実だ。初めての時に得られた肉体的な快感は衝撃と痛みの中での僅かなもので、螢惑と1つになれたという精神的な幸福感が殆どだった。即物的な面でも、知識不足から事後の始末をきちんとしていなかったせいで、酷く体調を崩してしまったりもした。回数を重ねて知識や経験が増えてみると、ただ衝動の赴くままに身体を繋げるだけだった頃のやり方が、如何にも幼く稚拙に思えて微笑ましくなってしまう。

 身体の姿勢や使い方次第で、もっと奥深い快感が得られると知ってしまった俺たちは、競うように相手の「啼き処」を探り合うようになった。しかし位置的に俺の方が絶対不利で、最終的に主導権を握るのはいつも螢惑だ。俺自身の身体も変化してしまった。昔は何も感じなかった箇所が、今では螢惑の指に、唇に、吐息に反応し、生じた隠微な疼きに震えてしまう。螢惑に変えられていく身体。悔しさよりも幸福を感じてしまう俺は、螢惑への恋情にすっかり溺れてしまっている。

 螢惑は、俺の顔が好みだと言った。もっと正確には、半泣きになっている俺の顔だ。恋愛に容姿が重要な位置を占めてるあたり、やっぱり俺とコイツは兄弟なのだなと、変なところで実感してしまう。勿論、顔だけで選んでいるのではないが、性格が良いからといってセックスする気になるか?直感的に無理だと思う相手とは無理だ、ムリ無理。

 螢惑の手管に翻弄されて、俺の意思や感情とは関係なく生理的に涙が滲んでしまう。それが螢惑の情欲を煽ってしまうらしく、突然どこかのスイッチが入ったように責めが激しくなる。こうなるとどんなに頼んでも赦してもらえなくて、半泣きどころの騒ぎではなくなってしまう。エスカレートして変な道具とか持ち出されたらどうしよう。さすがに遠慮したいところだが、螢惑に懇願されたら、きちんと断れるだろうか。螢惑限定で流されやすいから不安だ。

 自分でもどうしようもなく螢惑が好きだ。だから、彼がアルバイトを増やしてまで欲しい物を手に入れようと努力していることを、俺は心から応援してやりたい。だが、螢惑がアルバイトに精を出すほどに、俺たちがこうして逢える時間は短くなってしまう。俺たちの関係が露見しないよう、一緒に居られる時間はただでさえ限られているのに。それが恨めしくないと言えば嘘だ。本当は話したいことや、もっと聞きたいこともあるけれど、許された時間で精一杯強く、深く、濃く繋がりたくて、抱き合うことを求めてしまう。

 そうしていないと、不安に飲み込まれてしまいそうで。

 俺の他にも螢惑の魅力に心を奪われ恋焦がれている者が、きっといるだろう。恋人とは言っても、俺の立場など危ういものだ。同性で、異母兄弟で、しかも螢惑は家を嫌っている。少し考えただけでも障害が多すぎる。

 その気にさえなれば、螢惑はいつでもこの家を出て行ってしまうに違いない。金銭や安全では、彼の自由な魂に枷をつけることはできないのだから。今、お前がこの家に留まってくれているのは俺の為だと、そう自惚れてもいいのだろう?

「ずっと…こうしていたい…」

 いつまで螢惑を俺の傍に引き止めておけるだろうか。全く自信が無い。


 長年、顔どころか存在すら知らなかったから、未だに辰伶が異母兄だという実感が湧かない。別棟に離れて暮らしているから、家族な気が全然しない。

 多分、そのお陰だと思う。すんなりと辰伶を好きになることができたのは。下校途中に辰伶から声をかけてくれたことが嬉しくて、少し好感を抱いたら、あっというまに転落。…墜落かも。よく解からないけど「落ちた」ってカンジ。コロッていうか、ストンていうか、ダダダーッていうか、ズブズブ…?

 今まで他人に対してそんな気持ちになったことなかったから、どうしたらいいのか解からなかったけど、「欲しい」という強烈な感情で頭が一杯になって、身体の奥でも何かが反応してて、欲求のままに辰伶の呼吸を奪った。そうしたら、もっともっと欲しくなって、もう全部欲しくなった。

 そりゃ、ね。実感は無いけど、血が繋がってることを忘れてる訳じゃない。幾ら好みの顔してても同性だって解かってる。そういうことに、誰もが俺みたいに無頓着でいられるわけないから、辰伶みたいな真面目で固そうな奴なら尚更、許してくれるわけないと思ってた。だから、抱かせてって言ってみたのは、本当に玉砕覚悟。それで気味悪がられて、嫌われても構わなかった。俺は辰伶の全部が欲しかったから。少しじゃダメ。半分でも嫌。辰伶の全部が手に入らないなら、全部要らない。

 俺が淡白でいられるのは興味のないものに対してだけで、本来の俺は底無しに貪欲だった。傍に居られるだけで幸せなんて控え目な人間じゃない。絶対に不満になる。嫌われるのを恐れて悶々と日々を過ごすのって、何か健康に悪そう。妥協するくらいなら、粉々に砕け散った方がずっとマシ。

 殴られたって恨みには思わなかったのに。それくらい、自分でも当てにしてなかった。辰伶は驚きで大きく目を見開いて、ここまでは予想通りだったから、正気になって怒り出すまでの猶予期間に、俺は自分の素直な気持ちを言い募った。辰伶が好き。これさえ伝えられたら、直後に軽蔑されても良かった。本気で抱きたいと思ったけど、無理に押さえつけてでもという考えは無かった。辰伶が拒絶したら、そこで終わり。俺は欲が深いから、体だけじゃ満足できないんだよ。全部、全部じゃないと。

 その後の展開は予想に反して、辰伶はちっとも怒り出さなかった。途中から手ごたえを感じて、もしかしてこのまま行けちゃう?とか思ったら、口説くのにも熱が入ったなあ。辰伶の長い髪を結わえている紐を解いたときには、もう俺のものだと確信してた。

 初めて抱いたときは、俺も一杯一杯だったから、そうとう酷い目にあわせてしまった。喘ぎ声なんて、殆ど悲鳴みたいだったし。今のとても良さそうな声を聞くと、あの時はゴメン…て謝りたくなる。でも今更だから、その分目いっぱい気持ち良くしてあげようと思う。

「辰伶、何か…よそごと考えてる?」
「…ッ……何…も……」
「嘘つき。そうか…まだ余裕なんだ…」

 この後バイトが…とか、明日も学校が…とか思うと、手加減しないといけないからなあ。翌日起きられなくなるくらい、一度は限界までやってみたいんだけど。

「…ん…ふっ……んんっ…」

 段々激しくなってきた喘ぎ声を、シーツを噛み締めて堪える様子がいじらしい。声が大きいって、最初の時にウッカリ言っちゃったから、それから辰伶は必死に声を抑えるようになっちゃった。ラブホとかなら我慢しなくていいんだけど、ここだと誰に聞かれるか解からないから。ちょっと可哀相だけど、これもアリかな。恥らう仕草が色っぽくて、もっと啼かせたくなる。外させたシーツの代わりに唇で塞いで、声を全部飲み込んでやる。

 俺もコツを覚えてきたけど、辰伶の体も慣れてきて、どんどん反応が良くなってる。それに対抗するつもりなのか、辰伶も俺の弱点を躍起になって探そうとするんだけど、その様子が可愛いっていうか、エロいっていうか、見てるだけでも凄く興奮する。でも、気付いちゃった。辰伶が責めてくる箇所って、要するに辰伶が感じてる箇所ってことだよね。ふうん、辰伶ってそこも感じてるんだ……触れてきたところを覚えておいて、そのままやり返したら大当たり。このカラクリに、辰伶は未だに気付いていない。

 辰伶は綺麗だ。黙って立ってると出来のいい人形みたい。人形に興味なんてないから、それだけだったら、こんなに執着しなかっただろうに。どうやって計算したら、こんなに人を惹きつける所作が生まれるんだろう。動作の1つ1つが綺麗で、連続して追って見惚れてしまう。最近はそこにハッとするような艶も加わって、もう俺は気が気じゃない。どこの誰が辰伶に目を付けやしないか、男も女も油断できない。年寄りも、子供も、動物も!

 この関係は、最終的には辰伶が俺を捨てるんだろう。それが解かっているから、辰伶が綺麗になっていくのが恐い。

 辰伶がその気になれば、俺との関係は簡単に清算できてしまう。言い訳する必要すらないんだ。彼はこの離れに訪れなくなるだけで、終わらせることができるのだから。抱き合って、体を開かせて、揺さぶって、喘がせて、腕の中に閉じ込めて、どんなに俺の方が優位に見えても、主導権を握っているのは辰伶だ。

「ずっと…こうしていたい…」

 うわ言のように呟いたその言葉を、いつか辰伶は自分で裏切るんだ。

 その時が来たら、俺はどうしよう。この恋をちゃんと捨てられるかなあ。

「…螢惑……好き…だ…」

 やっぱり、辰伶が好き…


 おわり