楽園生まれの恋人
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現像できてきたばかりの写真を床に広げ散らかし、その中心ですっかり足場を無くした螢惑は、いつもの仏頂面で、胡坐の膝に片肘をついていた。そうして写真の1枚1枚を手に取ったり床に置き戻したりしながら丹念に見比べ、小さく唸ったり、首を傾げたり、舌打ちをしたりしている。
やがて、大量の写真の中から、たった1枚を選び取り、溜息混じりに呟いた。
「…やっぱり……コレかなあ…」
その口調は渋々ながらに降参したようでありながら、しかしどこかさっぱりとした爽快さが入り混じっている。写っているのは2人。彼と、彼の恋人。
床に広げられた写真は、全て記念すべき2人の初デートの時に撮ったものだ。呆れるくらいに辰伶ばかり写っている。撮影者である螢惑が、辰伶しか写さなかったからだ。せっかく立派な水族館に行ったというのに、珍しい魚も愛嬌のある海獣も全部無視して、他には何も要らないと言わんばかりに、螢惑の『眼』は辰伶だけを追っていたのだ。
その中で、たった1枚だけ、辰伶以外の人物が写っているものがある。それがこの、螢惑が手にしている写真。微笑む辰伶の隣に螢惑本人が並んでいる。その場を偶然に通りがかった見ず知らずの人に、辰伶が頼んで撮ってもらった奴だ。
全て見比べてみたが、この写真が1番良く撮れている。どの写真の、どの角度の辰伶も綺麗だ。しかしどう見ても、この2人で写った写真の辰伶が1番幸せそうで綺麗だ。
写真に関して螢惑は全くの素人なのだから、技術や構図の点で他人に劣るのは仕方がない。しかし、1番綺麗な辰伶を撮ったのが自分ではなく見ず知らずの他人であったことが、螢惑はとても悔しかった。悔しくて、負けを認めたくなくて、散々悪足掻きをしていたのだが、いざ認めてしまったら不思議なほど気持ちがすっきりした。
「…ずっと負けたままでいる気はないけど」
螢惑は机の上のカメラを一瞥した。そしてもう一度、手にしている写真を見る。
心配したほど写真の自分は詰まらなそうな顔をしていなかった。これなら辰伶に見せられると安心した。
学校から帰宅すると、辰伶は自分宛ての宅配の荷物を使用人から受け取った。とんでもなく大きいが、重さは大したことはない。鞄を持っている方とは逆の小脇に抱え、自室に運び込んだ。
そうして着替えもせずに、辰伶は瞳を輝かせながら、梱包材である包装紙を破るようにして引き剥がしにかかった。中身は判っている。辰伶はこれが届くのを、ここ数日間心待ちにしていたのだから。気持ちが逸って作業がどうしても乱雑になってしまうが、梱包材に用があるわけではないので構うことはない。
思ったよりも厳重に梱包されていたが、ようやく隙間から柔らかなタオル地が覗いた。一気に包装紙を剥がし、最後の砦であった透明なビニル袋も取り去って、辰伶は待望の中身との御対面を果たした。
ジュゴンの抱き枕。そのキュートで幸せそうな寝顔に、辰伶の顔も綻ぶ。
少し前に行った水族館のショップで見かけたもので、そこのオリジナル・グッズだ。そこでは色々とタイミングが悪くて買い損ねてしまったのだが、後日、その水族館のホームページ内の通信販売を利用して購入したのだ。
「ケイコク…」
思わず呟いてしまったのは、彼の大事な恋人の名前。呟いて、力一杯抱き締めた。
この抱き枕を見た時に辰伶が思い起こしたのは、以前、電車の中で居眠りをしていた螢惑の寝顔だった。2人は恋人同志で既に関係まであるというのに、それまで辰伶は螢惑の眠った姿を見たことが無かった。2人の関係が露見せぬよう、行為の後は自分の部屋に帰らなくてはならず、朝まで共寝する訳にはいかないからだ。それを辰伶は寂しく思っていたのだ。
その代わりと言ったら螢惑は機嫌を悪くするだろうが、辰伶にはこの愛くるしいジュゴンの寝顔が螢惑そっくりに思えてならない。螢惑本人を知る者たちがそれを聞いたら『どこが!?』と総ツッコミが入るに違いないが、辰伶は本気だ。だから、どうしても手に入れたかったのだ。
これを購入したことは、螢惑には秘密だ。この抱き枕のことでは、螢惑には馬鹿にされてしまったことだし、こんなものを抱いて寝ていると知れたら、もっと馬鹿にされるだろうから。…本当のところ螢惑は、例えそれがただの枕であっても、自分以外の者が辰伶に抱き締められて寝ることが許せなくて、辰伶を馬鹿にするような言動をしたのだが、そんな裏事情を辰伶が見抜けるはずもない。
螢惑にバレたら厄介だが、この部屋に置いておく限りには、その心配はない。螢惑が母屋に近づけないことを、この時ばかりは辰伶もありがたく思った。
おわり