赤い糸の端々で
辰伶が相続を放棄したこの家は、辰伶の母方の従兄弟が養子縁組して継ぐこととなった。それを契機に辰伶はかつて螢惑が暮らしていてた離れに住居を移した。1人暮らしで家賃も入れている。たまに母親が「お裾分け」といってあれこれと差し入れたり、面倒をみてくれるのに甘えはするが、基本的に自力で生活している。
父親も何も煩く言わなくなった。認めたのではなく、諦めたのだろう。
螢惑の消息は依然としてつかめない。折にふれ、螢惑の知り合いにも尋ねてみるのだが、螢惑は誰とも連絡を取り合っていないようだ。それでも、いざとなったらどこへでも行けるように、今は会計事務所に勤務しているが、いずれ独立することを辰伶は考えている。
仕事と家事で忙しい日々の中で、辰伶を癒してくれるアイテムがある。写真集だ。気に入ったものを購入するうちに、結構なコレクションになっていた。中でも好きなのがHOTARUという風景写真家で、これまで出版された写真集は全て揃っている。
その写真家は詳しいプロフィールも肖像写真もないので、日本人ということ以外は年齢も性別もわからない。本名も不明だ。海外で活躍しており、これまでの作品も全て海外で出版されているので、日本ではまだあまり知られていない。辰伶がHOTARUを知ったのも、母親の海外出張の土産が切っ掛けだ。
写真集の後書きに、HOTARUが遠く離れた恋人に宛てたメッセージがある。愛機のカメラを恋人の眼だと思って、その風景を恋人と2人で見ている気持ちで撮影しているのだそうだ。同じく恋人と遠く離れている辰伶はその言葉にシンパシーを感じてしまい、それ以来ファンになった。
そのHOTARUの写真集が、今回初めて日本で出版される。今日はその初出版の記念のサイン会が催される。勿論、辰伶も行くつもりで、何日も前から楽しみにしていた。
いよいよ憧れのHOTARUに会える。こんなに胸が弾むのは何年ぶりだろう。
おわり