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ケーキを作ろう!


 いつだって、ほたるは唐突だ。そこに至った経緯をすっ飛ばし、結論だけを突きつける。単純明快にして意味不明。わかるのに、わからない。

「ケーキの作り方、教えて」

 この時もそうだった。後期試験も終わり、成績結果が出るのを待つだけのこの時期は、大学生にとって最も優雅な時だ。高校3年生であるほたるも自由登校になっていたので、せかせかと学校へ追いやる必要も無く、辰伶は朝食の最後にのんびりとコーヒーを飲んでいた。そこへほたるが現れて、おはようと挨拶をするかと思えば、出たのがこのセリフだ。

「何故…」
「作りたいから」

 辰伶は『何故俺に聞くんだ?』と言いたかったのだが、ほたるの身も蓋も無い答えに沈黙する。

「ケーキの作り方なんて、俺だって知らないぞ」

 ほたるは1冊の本を取り出すと、辰伶に押し付けた。菓子の作り方の本だ。辰伶は本を捲りながら言った。

「本があるなら自分で見てやればいいだろう」
「読んでも意味が解からない。コレ読んで辰伶が覚えて、俺に教えて。本見て作るの得意でしょ」

 そう来たか。ほたるは滅多に他人に頼みごとをしないが、頼むときはかなりムチャクチャで、しかも強引だ。

「庵奈さんに教えてもらえばいいだろう」
「だめ。他の奴らに盗られちゃう」

 辰伶は料理が嫌いではない。しかし趣味でしているわけではなく、純粋に食事の支度をしているだけだから菓子類を作ったことなど1度もない。想像もつかないので、ほたるの頼みに対して即答し兼ねた。料理の本を見て作るのが得意とほたるは言うが、辰伶からすれば他に参考にする対象がないので、必要に迫られてのことだ。実際、1人暮らしを始めてすぐの頃は酷いもので、米の炊き方もろくに知らなかった。

「やってみてもいいが…、その代わり…」
「何?」
「キャベツとコーンのコンソメスープの作り方を教えろ」
「……」

 先月、風邪を引いた辰伶の為に、ほたるが作ったものだ。ほたるの知っている料理は、殆どが庵奈に教えてもらったものだが、これはほたるの母親の味だった。辰伶の不興を大いに買ったニンジンおじやもそうで、あれはほたるの離乳食だった。

「あれ、おいしかった?」
「ああ。何だ?秘密なのか?」
「…なべに水をテキトーに入れて、コンソメのキューブをテキトーに入れて、火にかけて、沸騰したらテキトーに刻んだキャベツと缶詰のコーンを入れて、キャベツが透き通ったら火を止めて、溶き卵を入れて終わりだけど…」
「…適当なんだな」
「あ、片栗粉入れるの忘れた」
「……」
「入れなくてもいいけどね。とろみがないだけだから」

 とにかくほたるが辰伶の出した条件を果たした以上、辰伶も約束を守るしかない。辰伶はほたるに渡された製菓の本を広げ、ケーキのページを探した。

「どんなケーキが作りたいんだ?」
「これ」

 ほたるが捲って指したのはチョコレートケーキのページだった。

「いつ作るんだ?」
「今から」

 それを聞いて辰伶は思わず本を取り落としてしまった。唐突にも程がある。これでは辰伶が本を読んで覚えるひまが無い。試作どころの話ではない。

「ぶっつけ本番かよ…」
「製菓は材料の計量が命っていうじゃない。辰伶みたいなタイプなら大丈夫だよ」
「それはつまり、お前のような適当なタイプには致命的ということじゃないのか?」
「あ、そうか」

 辰伶は作り方の手順を簡単に攫い読みしてみた。何となくイメージできるので、何とかなりそうだと思った。

「材料や器具を買いに行く必要があるな」
「行こ」
「今すぐか?」
「朝マック、おごって」
「ちゃんと朝飯を喰え」

 そう言いながらも、辰伶は外出の支度を始めた。ほたるの要求通り、ファーストフード店にも寄ってくれるだろう。ほたるは確信していた。


 製菓の器具や材料の売り場は平日にしては混んでいた。またコーナーがコーナーだから、客は当然若い女性ばかりで、辰伶とほたるの2人は何となく浮いていた。

「意外に客が多いんだな」
「意外でも何でもないと思うけど。今日は14日だよ」

 2月14日は言わずと知れたバレンタインデーである。女性が男性にチョコレートを送ることで愛を告白するという微笑ましい行事だ。これ以上の説明は必要ないので割愛する。

「そういえば、おめでと」
「ありがとう」
「さらっと返したね」
「さらっと言うからだ」

 世間的にはバレンタインデーだが、個人的な話になれば、今日は辰伶の誕生日である。

「忘れてるかなと、思ったんだけど」
「自分の誕生日を忘れるわけないだろう。痴呆症の老人じゃないんだ」
「今って痴呆症って言わないよ。たしか…ボケ老人?」
「認知症だ」

 厚生労働省に於いて『天然ボケ』を『天然認知症』と呼称しようという動きは、現在のところ皆無である。

「でも今日がバレンタインデーだって気づいてなかったよね」
「お前が今日は14日だと言ったのを聞いて思い出した。…嫌な日だ」
「誕生日が?」
「そんなの良いも悪いもないだろう。バレンタインデーが、だ」

 バレンタインデーとは前述の通りの日であるから、ぶっちゃけて言えばモテる男とモテない男とでは、貰えるチョコレートはその数も質も格段に違ってくる。昨今では興味のない男性に義理チョコを送るくらいなら、自分自身へのご褒美チョコを買うという女性が増えている為、その差は一層甚だしい。

 その点、辰伶はモテる部類に入る。チョコレートを貰えない侘しさとは無縁だ。それでは辰伶がバレンタインデーの何を嫌悪しているかといえば、それはチョコレートそのものにあった。辰伶は普通のチョコレートは嫌いではないが、手作りチョコレートだけは気持ちが悪くて駄目だった。

「手作りは駄目だ。あれは何が入っているか解からん。危険だ」
「辰伶って、潔癖症?」
「女達がチョコレートに何を入れているか知らんのか。恋のおまじないと称してコロンだの、涙だの、果てはピアスだの、不潔で食品じゃないのものを平気で入れてくるんだぞ。そんなもの、うかうかと食べられるものか」
「ふーん。女の人も、好きな人には嫌がらせするんだね」

 ちょっと違う。

「だから、そんな物はいらないと受け取りを拒否したら、周りの女子達に、まるで人でなしのごとく罵られた」
「最悪だね」
「以来、俺は『本命以外からは受け取らないことにしている』と言って断ることにしている。お陰で誰からも受け取れんが、変なものを喰わされるよりはマシだ」
「……」

 辰伶の話を聴いて、ほたるは違和感を覚えた。手作りチョコレートへの印象は、辰伶にしては随分と穿っているし、チョコレートを断る時の口実も辰伶に似合っていない。

「それって、誰の入れ知恵?」
「歳子からのアドバイスだが。ああ、そうだな。事情を知っている歳子や歳世からのチョコレートはきちんと受け取っている」
「歳子って、見かけによらず友達思いなんだ」
「歳子はホワイトデーのお返しが目当てに過ぎん。歳世は…いわゆる義理という奴だろう」
「どこまで鈍いんだよ…」

 勿論、歳子は歳世の為に、辰伶に入れ知恵をしたのである。歳子のチョコレートは辰伶の考える通りお返し目当ての純粋な義理チョコなので、本気チョコは歳世からしか受け取っていないことになる。ただ、辰伶が鈍感すぎて、歳世のチョコレートも義理チョコと勘違いしているのが問題だ。

「で、誕生日だけど、なんか要る?」
「別に」
「あ、そう。じゃあ、さっきのケーキの作り方の本あげる」
「ありがたくはないが、一応礼を言っておく。それにしても、何だってわざわざこんな日にチョコレートケーキなんか作るんだ。さっきから悪目立ちしてしょうがない」

 辰伶がぼやくのも無理はない。辰伶とほたるの2人は、周りの女性客から絶えず注目を浴びていた。チョコレート売り場よりはマシだが、それでもこの日にこの場所で男2人連れというのは恥ずかしい。買い物籠の中身を見れば、チョコレートケーキの材料と一目で知れる。

「自分で作って、誰かから貰ったと言い張るつもりだと、思われているんだろうな…」
「え?誰か見てた?ストーカー?」

 見も知らぬ他人に何と思われようとも、事実は違うわけだから気にしなければよいのだが、そんな風に達観できるほど辰伶は老成していない。若者は他人の視線に常に敏感なのだ。ほたるは例外である。

 ところで2人に注がれる視線たちの意味は、本当のところ何だったのか。密やかに交わされる女性客達の会話はこんな具合である。

『ねえ、あの2人って……やっぱり?』
『ちょっと、見た目いいよね。禁断の恋、モエ〜』
『世間にどう思われても、私達は応援するからね』

 ある種の女の脳内には、男には決して理解できない異空間が存在する。それを辰伶は知る由もなかった。知らなくて幸いだった。

 女性客の奇妙に温かい視線から逃れるため、辰伶は迅速に会計を済ませた。そして、はたと気づいた。

「…何で俺が代金を払っているんだ」


 菓子作りで最も重要なのは、材料は勿論のこと、器具をしっかりと用意することである。素人がたまに作るだけなのに、そんなに製菓の器具をそろえてどうするのかと思うかもしれないが、素人こそ使いやすい便利な器具が必要なのである。その点で、辰伶は抜かりなく準備した。

「ではまず、材料を…」
「混ぜればいい?」

 材料を計れと辰伶が言い切らない内に、ほたるは薄力粉の袋を開け、ボウルへ全部ぶちまけた。その中へ更に砂糖をぶちまけようとする。

「バカ!やめろっ」

 辰伶はボウルを掻っ攫って、ほたるの蛮行を阻止した。ボウルにこんもりと小さな山を作っていた薄力粉が空気中へと飛散し小さな煙幕を作る。辰伶はそれを吸って咽てしまった。咳き込んで涙ぐみながら、ほたるを罵倒する。

「製菓は計量が命だと、きさまが言ったじゃないか!」
「俺が言ったんじゃないよ。ええと、一般論?」
「だったらちゃんと守れ」
「だってめんどくさい」

 初っ端からこれだ。辰伶は先行きに不安を抱いた。

「材料を無駄にされては堪らん。計量は俺がやる」

 ほたるが作りたいといったのは、ガナッシュケーキである。薄力粉70g、砂糖100g、ココア10g、バター大さじ1、牛乳大さじ1を、幾つも並んだ小さなボウルに計り分ける。そして卵を3つ。これがチョコレートスポンジ生地の材料だ。ガナッシュの材料はスポンジを焼いている間に用意すればいい。

「では、まず薄力粉にココアを混ぜ合わせて…」
「混ぜればいい?」

 計量した材料を全て混ぜ合わせようとするほたるを、寸前で止める。

「ココアだけだ。よく混ぜ合わせたら、粉ふるいにかける」
「なんで?」
「何故って……そんなことは知らん!とにかく粉ふるいに掛けろ」

 それは薄力粉に空気を充分に混ぜ合わせる為である。辰伶はテーブルに大き目の紙を広げ、そこへ粉をふるって見せた。それを2回繰り返す。

「それから、砂糖を…混ぜるなーっ!」

 砂糖のボウルを横から奪われて、ほたるは不満そうである。先ほどから材料を混ぜ合わせるのがしたくて堪らないらしい。

「砂糖もふるいに掛けるんだ。…違うっ!薄力粉と同じのでは網の目が詰まる。もっと目の粗いこし器を…そう、それだっ」
「うるさいなあ…」

 ノリが体育会系のそれになりそうで、ほたるは少しうんざりした。まだ下準備の段階でこれである。先が思い遣られた。


 ケーキの焼き型は、スポンジを型から外しやすいように、底板が外れるタイプのものにした。型の内側にバターを塗り、小麦粉を薄くふるう。底に製菓用紙を敷いて、型の準備はOKだ。

「結構簡単だね」
「そう思うなら自分でやれ」

 型の準備をしたのは辰伶だった。口で言ってもほたるは理解しないので、実演してみせることになる。そうすると結局のところ、辰伶がやってしまうことになるのだ。

「次はお待ち兼ねの、材料の混ぜ合わせだ」
「え?辰伶、待ってたの?そんなにやりたかった?」
「おまえがやりたがってたじゃないかっ」
「そうだっけ?」

 万物は流転する。5分前のほたるはもう別人と思った方が良い。ひょっとしたら、もうケーキを作る気分も消失しているかもしれないと、辰伶は疑ったが、さすがにそれは無いようだ。

「まあいい。ボウルに卵を割れ」
「普通に割っていいの?」
「普通でない割り方とは、どんなだ」
「ケーキって、白身と黄身を分けるんじゃないの?」
「中途半端に良く知っているな」

 ほたるが言うのは、いわゆる『別立て』のスポンジの作り方である。それ程力を使わずに、ふわふわのスポンジを作ることができる。ただし、冷めたときに生地が沈みやすいという欠点がある。今回辰伶が選んだのは『共立て』のスポンジである。泡立てにかなり力が要るが、やりやすいし、冷めてもスポンジは沈まない。こちらはしっとりとしたスポンジになる。…と、本に書いてあった。

「つまり、『共立て』は、俺みたいにめんどくさがりで、力ばっかり有り余ってるタイプにはうってつけということ?」
「よく解かっているじゃないか」
「めんどくさくなくて良かった、良かった」
「そうだ。良かったな。次は卵に砂糖を入れて、湯せんしながら泡立てる」

 ときほぐした卵に砂糖を加える。湯せんの湯の温度は50〜60度くらいだ。ほたるはポットの湯を大きなボウルに入れ、その中へいきなり、とき卵のボウルを入れようとした。

「おいっ。誰が熱湯でやれと言った!卵が固まるだろっ」

 辰伶は温度計で測りながら水を注して温度を調節した。

「50から60度って言ったら、指をつっこんで少し熱いかなって思うくらいだよね」
「…だったら何故、そうしない」
「あ、そうか」

 そして卵が人肌くらいになったあたりで、湯せんを外す。余り湯せんに掛けすぎると、卵に熱が回りすぎて泡立ちが粗くなってしまうのだ。それから先はひたすら泡立てる。泡だて器をボウルに打ち付けるように。リズミカルに。ムラ無く、しっかりと。

「…『ムラ無く、しっかりと泡立てましょう』…だってさ、辰伶」
「って、何で俺がやってるんだ」

 勿論、口で説明しても理解しないほたるに手本を見せる為である。

「おまえがケーキを作りたがったんだろうが。いい加減に代われ」
「もうへばったの?体力無いね」
「…くっ」

 そういう言われ方をされては、辰伶はプライドにかけて『代われ』とは言えない。結局、生地に『の』の字が書けるまで、しっかりと泡立ててしまった。電動の泡立て器も買えばよかったと、辰伶は痛切に思った。製菓で重要なのは計量でも手順でもなく、体力かもしれない。


 腹が立つ!腹が立つ!腹が立つ!

 生地を木箆で混ぜ合わせる間、辰伶は無言だった。辰伶は静かに怒っていた。静かに深く怒っていた。

 ――誰だ。ケーキなんか作ろうなどと言い出した奴は。

「アンゼリカと庵樹里華って似てる」

 言いだしっぺは勿論、辰伶の隣で製菓の本の関係ないページを眺めては、下らない事に関心を寄せている漢である。

「蕗って砂糖漬けにするんだ。…ワサビはしないの?」
「……」

 やれるものならやってみろと、普段なら怒鳴り倒すところだが、辰伶は黙然と生地をかき混ぜた。後はこのバターと牛乳が充分に混ざれば完成だ。ケーキ型に流し込んで焼くだけである。その後のことなど知ったことではない。

 ――俺は二度と菓子類は作らん。絶対に作るものか。

 もうほたるに対して、自分でやるように言う気にもならない。言っても無駄なことは判っている。言うだけ時間の無駄だから、辰伶は黙ってケーキを作り続けた。今はこの作業をさっさと終わらせることしか考えられない。製菓に必要なのは計量でも手順でも体力でもなく、ひたすら忍耐だ。ただ忍耐あるのみ。

 ――だいたい、ほたるのようなめんどくさがりが菓子を作ろうなどというのが、最初から間違っていたんだ。いったい何が楽しくてケーキなんか作りたがるんだ。何の為にケーキを…いや、そんなことはどうでもいい。作りたいと言ったなら、最初から最後まで、自分で作ったらどうなんだ…

「それを焼けばいいの?」

 辰伶がケーキ型に生地を流し込む様子を、ほたるが横から覗き込んで言った。

「…ああ。オーブンレンジに入れて、『ケーキ』のボタンを押せばいい」

 辰伶はケーキ型をほたるに渡した。ほたるは辰伶に教えられた通り、オーブンレンジに入れてボタンを押した。

「どれくらいで焼けるの?」
「30……いや、40分くらいだったかな」
「楽しみだね」
「そうだな」

 大した会話をしたわけでもないのに、辰伶はそれまでの怒りをすっかり逸らされてしまった。オーブンレンジの前で楽しげにしているほたるの様子を見ていると、全てが小さなことに思えてくる。

「さてと。ガナッシュの材料を計量しておくか」

 ほたるの大雑把な性格は、今に始まったことではない。そして、計量などという細かい作業は、自分の方が向いているということも、辰伶は最初から承知していた。だからこれでいいのかもしれない。ほたるが楽しいのなら、それでいい。

「ほたる。スポンジが焼きあがったらガナッシュを作るから、それまでにこのチョコレートを包丁で刻んでおけ。俺は少し休む」
「わかった」
「できるだけ細かくな」
「うん」

 ほたるは椅子に馬乗りに座り、背もたれに抱きつくようにしてオーブンレンジを見ていた。その姿勢のまま、振り向かずに言った。

「ありがとね。辰伶」

 そんな一言が、辰伶の心を柔らかく溶かしてゆく。こんなふとした瞬間に辰伶は、自分こそがほたるを必要としているのだと実感させられる。

 ほたるがそこに居る。それが何よりも大事なのだと。


 やはりガナッシュ作りも、殆ど辰伶の手によって成され、ほたるは横から見ているだけだった。それでも辰伶は根気良くほたるに説明しながら作業をした。

 スポンジが焼き上がった時のほたるは、本当に嬉しそうだった。焼け具合を確める為にスポンジに竹串を刺すのが楽しいらしく、ほたるは無意味に2回も3回も刺していたが、辰伶は好きにさせておいた。

 スポンジを横に3枚に切って、切り口にシロップを塗るところまでは辰伶が手がけたが、それ以降はほたるにやらせた。網の上に載せられたスポンジに、ほたるは満遍なくガナッシュを掛けてコーティングした。そしてそれが乾くと、今度は泡立てたガナッシュを絞り出しにしてケーキを飾った。

「完成か?」
「まだ。ねえ、チョコペンは?ちゃんと買ったよね」
「ああ。字を書くのか」

 ケーキの中央が少し寂しく空けられている。そこへほたるは白い絞り出しチョコレートで文字を書いた。

 『辰伶へ』

「…ひょっとして、俺のバースデーケーキだったのか?」
「……」

 ほたるは手を止めて、深くため息をついた。

「気づくの遅いんだよ。気づかないフリしてるのかと思ってたのに、マジボケだったの?鈍感すぎるのも、たいがいにしたらどう?」

 気づくわけがないと、辰伶は思う。散々いいようにこき使われて作ったものが、自分の誕生日の為のケーキだと、誰が思うだろうか。

『辰伶へ 誕生日おめでとう』

 文字はいびつに歪んでしまった。でもそれは手作りゆえのご愛嬌というものだろう。そういうことにしといて欲しいと、ほたるは思う。

「それとも、やっぱり手作りは嫌い?要らない?」
「最初から最後まで見ていたんだ。変なものじゃないことは判っているから平気だ」
「じゃあ、もらってくれるよね」
「何か変じゃないか?材料費を出したのは俺で、作ったのも殆ど俺で、もらうのも俺なのか?」
「あ、そうか」

 ほたるは珍しく考え込んだ。そして、1つの案が浮かんだ。

「じゃあ、俺にくれる?」
「しっかり俺の名前が書いてあるのにか?」
「あ、そうか」

 これは誰が誰の為に用意したケーキなのだろう。

「ええと……じゃあ、一緒に食べればいいよね」
「まあ、そんなところだろう」

 所詮は食べ物。腹に入ればみな一緒。深く考えることもない。

「しかし、めんどくさがりのお前が、よくもチョコレートケーキなんか作る気になったな」
「バレンタインデーだから」
「単なる思い付きか」
「うん」

 賭けにもなりゃしないと、ほたるは心中で独り言ちた。このチョコレートケーキを見て、辰伶がバースデー用と思うのか、バレンタイン用と思うのか、それはほたるにとって1つの賭けだった。ケーキに書く言葉も、2種類考えていた。1つはいびつな文字でケーキに書かれている。もう1つの言葉は、ほたるの胸の中に刻むしかなかった。

「意味なんて、あるわけないじゃない」

 意味などない。意味を込めても、気がつかないのでは意味が無い。だから、これは無意味なバースデー・チョコレート。

「言い忘れたな。ありがとう。ほたる」
「うん」

 2月14日生まれの、貴方だから。


 おわり。同居シリーズの中で、一番最初に考えた話。…てゆーか、この話を書きたくて、同居シリーズを始めました。次回、ホワイトデー『クッキーを焼こう!』をお楽しみに!(←ウソです)

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