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カウントダウン
年の暮れ。年末といえば大掃除。旧年の埃や垢を払い清めて新年を迎えるのが日本人の伝統である。
辰伶は伝統を大切にする良き日本人である。しかし伝統は伝統なのだが、普段から片付いたこの家では特にやることなどない。神棚も仏壇もないので、普段通りの掃除の上に、窓ガラスを拭いて終わりだ。
ただ…1箇所だけ、万全と言いきることのできない部屋があった。それは、たった今片付けたばかりのリビングに早くも菓子や雑誌類を広げて寝転がっている粗大ゴミが管轄とする場所である。
「ほたる、自分の部屋はちゃんと片付けただろうな」
「ん…」
怪しげな返事だが、予想通りでもある。辰伶はほたるが物を片付けるところ見たことが無い。2人が共同で使う場所ですらそうなのだから、ほたる個人の部屋の中など、推して知るべしである。しかしそこは自己責任である。これ以上は過干渉になるので、辰伶は追及はしなかった。しかし、非常に気にはなっていた。見てみたいような、見なければいけないような、見ないほうが良いような、見てはいけないような…見たくないような。
辰伶はほたるの部屋に入ったことがない。中を覗いて見たことすらない。ほたるの部屋に入るということは、ほたるの心の中に踏み込むという行為に思えて躊躇われる。辰伶がそこに踏み込むことを、ほたるはまだ許していないと感じていた。
辰伶がそこまでプライバシーというものにデリケートである一方で、ほたるは余り頓着していないようだ。辰伶の部屋に入るのに許可を得るどころか、ノックさえしない。いきなりドアを開けて、勝手に入ってきて、我が物顔で辰伶のベッドに寝転んでいたりする。猫のようだ。
プライバシーもへったくれもないほたるの気儘な行動を、辰伶は許してしまっている。ほたるがこの家に来た当初、この部屋で寝起きさせていたので、今更という気がするのだ。
結局は辰伶の気持ちの問題なのだ。本当は他人の領域に踏み込むことに臆病なのかもしれない。最後の最後で壁を作っているのは、実は辰伶の方かもしれない。
キッチンに鏡餅。玄関に注連飾り。下駄箱の上にミニ門松。大したものではないが、これから正月を迎えるという気分になる。
そして、リビングには正月用の花。南天、千両、白梅、松などオーソドックスな新春の花に、バラなどの洋花も混ざってモダンなスタイルである。生けたのは辰伶で、花器や剣山などの道具は辰伶の実家に山ほどある中から借りてきたものだ。辰伶は小学生から中学生に上がる位のころ、いつ何処で恥を掻くか分からないからという理由で、茶の作法を習わされた時期があった。その時に一緒に花の生け方の基本も教わったというぐらいだから、それほど能くするわけではない。本に紹介されていた生け方をそっくりそのまま真似したのだ。
「それはいいとして、正月用にって、買い込みすぎじゃない?」
「そうか?」
ほたるが言っているのは冷蔵庫の中身のことである。普段は空白が目立つ位に中身の少ない冷蔵庫が、今ではちゃんと物が冷えるかどうか怪しいほどに詰まっている。
「こんなに食材どうすんのさ。なんか10人分くらいありそうなんだけど」
「正月なんてそんなもんだろう」
「飲み物もケースごと買ってあるし。それにさ、お菓子はともかくとして、うちって未成年しかいないのに、何でビールとかお酒があんの?」
「…そんなもんだろう」
「俺、そんな食べないよ」
「友達とか、知り合いとか呼ばないのか?」
「なんで?」
「退屈だろう。3日間も」
「別に。寝てるし。それよりもさ、今日の晩御飯。あれ、どーゆーこと。取り合わせの趣味が悪過ぎ」
「お前のせいだろうがっ!」
年越しといえばソバだ。しかし辰伶もほたるも若いので、ソバだけでは物足りない。そういうわけで、辰伶は天ぷらを揚げたのだが、あとはソバを茹でるだけという段階になって、ほたるが言った。
『ソバって、あんまり好きくない』
「だからカレーになったんだろうが。しかもレトルトの。俺だってカレーと天ぷらなんて取り合わせは趣味じゃない」
「好きじゃないって言ったけど、食べないとは言ってないから」
有終の美を飾るというか、年の瀬にも下らない口論をしているあたり、来年の2人も知れたものだ。
「ねえ……そこ」
「ここか?」
「うん。そう…あれ?入らない」
「そこじゃないだろ。よく見ろ」
「え?…じゃあ、こっち?」
「違うって…バカッ。無理やり嵌めるな」
「あれ?抜けない」
「無理に嵌めるからだっ。やめろっ!そんな力任せに。ピースが壊れるっ」
辰伶が暇つぶしに始めたジグソーパズル1000ピース。いつしかほたるも加わって、2人で完成へと熱中していた。テレビは紅白歌合戦をやっているが、ついているだけで2人ともテレビを見ていない。辰伶は本当はN響の第九が聴きたかったのだが、ほたるにジャンケンで負けてしまい、CDをヘッドホンで聴いている。ほたるはジャンケンまでして番組を勝ち取っておきながら、実は紅白には全く興味が無いので忘れている。
「だいたい絵が悪いと思う。黒と黄色とオレンジ色しか無いじゃない」
「…気に入ったんだから仕方ないだろう」
それはどこまでも続くススキの群生の写真だった。黄昏の残照がススキの穂を金色に染める。他には何も無い。どこまでも金色に輝くススキの海。
「曽爾高原だ。奈良の」
曽爾高原は奈良県であるが、三重県との県境だ。名張の赤目四十八滝の近くである。
「いつか、行ってみたいものだな」
「…連れていってあげようか?」
辰伶は驚いて、ほたるをまじまじと視凝めた。
「だから、車校代ちょうだい」
そう言って掌を突き出したほたるに、辰伶はどうしようもなく笑ってしまった。自分の誕生日が2月だったので、自動車学校に行き出したのはもう少し遅かったが、そういえばほたるは8月で18歳になったのだった。
「そうだな。おまえはもう進路も決まっているし。車の免許を取っておくといいな」
「免許取ったら、連れてってあげる」
「若葉マークでか?俺が運転する」
「辰伶だってペーパードライバーじゃない」
「ツーリングもいいな。ついでに2輪も取らないか?」
「そしたらバイク買ってね」
2人が声を立てて笑うなんて滅多にないことだ。辰伶は時折感情表現がひどく不器用になるし、ほたるはいつでも冷めている。それでも、通い合う何かは絶対にある。だから時には、こんな風に笑い合うこともできる。
「ほたる、遠慮しなくてもいいんだぞ。学校の友達でも、幼馴染でも、何人呼ぼうと構わんし、何なら泊めてもいい。寝る場所が足りなければ、俺の部屋を使ってもいいし。お前が出かけてもいいんだからな」
「うん…」
第九のCDは演奏を終えて止まっており、紅白もとっくに終わっていて、ふと気づくとあと少しで零時だった。
…3、2、1
「「あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします」」
12時を過ぎたところで、近所の神社へ初詣に出かけた。今年は暖冬だと思っていたら、この急な冷え込みである。辰伶とほたるはしっかりとコートを着込んで家を出た。小さな神社だが、あんがい賑やかだ。お参りすると菓子や餅が貰えるし、酒や汁粉が振舞われる。勿論、2人もそれが目当てだ。
「樽酒って美味しいね」
「枡がヒノキだから、香りがいいな」
飲酒は二十歳から!
おわり。なんかこのシリーズ酒臭くなってきてないか?
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