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聖夜に
スクールジといえば、ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』の登場人物である。人の善意を信じず、金儲けにしか興味がなく、聖夜も神に祈ることなく金勘定をしている強欲ジジイとして書かれている。クリスマスの日にまでせかせかと働いているのは不届き者だということだ。
日本にも怠け者の節句働きという言い回しがある。それは普段ろくに仕事をしない者が、休日になるとさも働き者であるかのように振舞うという意味である。古今東西、休みの日は休みらしく休むべきなのだ。
「じゃあ、なんで俺たちこんなことしてんの?」
片面の焼けた串団子をひっくり返して、ほたるが呟いた。隣で辰伶は慌しくタイヤキを包みながら、ほたるの疑問に答えた。
「それはだな、日本ではクリスマスは休日でも何でもない上に、恋人を持つ若者が先を争ってバイトを休む為に、人手が足りなくなるからだ」
12月24日といえばクリスマスイブである。辰伶とほたるがアルバイトの代役を頼まれたのはその日の昼食時、辰伶の通う壬生大学の学食でのことだった。今年度の大学の講義は全て終了していたが、年明けすぐの学年末試験やレポート提出の為の参考資料を探しに、辰伶は大学の図書館に来ていた。ほたるはキャンパスを見学したいと言って、辰伶についてきて学食で昼食をたかっていた。
辰伶はそこで同じ学部の知人の友人の知り合い(=超他人)に、アルバイトの代役を頼まれた。最初は全くその気は無かったのだが、今日バイトを休めなかったら恋人との仲が破局を迎えることになるのだと土下座しそうな勢いで頼み込まれ、衆人の目が恥ずかしくて引き受けてしまった。また、そのバイトは夏にも1週間ほど代役を引き受たことがあったので、あまり抵抗感はなかった。
辰伶が頼まれたバイト先はタイヤキ屋だった。タイヤキの他にタコヤキやみたらし団子も売っている。そこで4時から8時半まで主に販売をして欲しいということだった。ところが、このタイヤキ屋の隣には経営を同じくする喫茶店があるのだが、喫茶のマスターが風邪で休んでしまったので、タイヤキ屋の店長がそちらへ入らなければならなくなってしまったということだ。ならばタイヤキ屋は今日は臨時休業にするのかと思いきや、辰伶と一緒にいたほたるが目を付けられ、2人でバイトの代役となったわけである。
そういう訳で、レジ打ちとタイヤキを焼くのは辰伶。初心者のほたるはみたらし団子とタコヤキの係りとなった。団子は焼いてタレをつけるだけだし、タコヤキは鉄板に材料を入れて焼くだけで丸めるタイプではないので、初心者でも簡単にできる。辰伶は黒の、ほたるはピンクのエプロン姿で店に立っていた。
寒さのせいだろうか、結構客が多い。5時を過ぎた辺りから、帰宅途中の会社員や買い物帰りの主婦などが立ち寄ってくる。客というものは何故かバラけたりせずに集中するもので、やたら忙しかったり、ヒマだったりというのを繰り返していた。
今はヒマな時で、その間に辰伶はほたるに食事を摂らせた。食事は隣の喫茶店から届けられたまかないで、ピラフにカニクリームコロッケが乗っている。カニクリームコロッケは嫌いではないが、その上にかかっているトマトケチャップに、ほたるは悪態をついた。ほたるはカニクリームコロッケにはソース派だった。
「ねえ、辰伶」
「何だ?」
「明日、クリスマスだね」
「そうだな。今日がクリスマスイブだからな」
「辰伶って、クリスマスはキリスト教徒の行事だから、仏教徒の日本人が祝うのは変とか言うタイプ?」
「いや、そうは言わんが。…まあ、特に関心は無いな。うちはクリスマスに何かをするという習慣がなかったからな」
ほたるが食事を終えたので、交代に辰伶が食事を始めた。しばらくして、またほたるが話を始めた。
「俺のトコは、隣んちでパーティした。クリスマスツリーを飾って、いつもよりも豪華な晩ご飯で。それで、家に帰ると、この日は母さんがケーキ買ってきてくれて、ロウソク立てて火をつけて、電気消して……あれ?それって誕生日だっけ?」
「……」
「ケーキはいつもイチゴの乗ってる丸いケーキで、2人じゃ食べきれないから隣に持って行って…」
しまったと、辰伶は思った。自分が関心が無かった為に、クリスマスなど何の準備もしていなかったが、しかしこの話し振りでは、ほたるはクリスマスという日に何か思い入れがあったようだ。そこまで考えが回らなかった。
ほたるが母親のことを語るなど、これまで殆ど無かった。きっと大事な思い出があるのだろう。
ツリーも無く、ご馳走もなく、ケーキも無い。辰伶にとっては当たり前のことだが、ほたるには何と味気ない思いをさせてしまったことだろう。当然、クリスマスプレゼントも用意していない。もう少し気をつけてやれば良かったと、辰伶は後悔した。
「12月25日がキリストの誕生日じゃないって、知ってる?」
「そうなのか?…まあ、同じキリスト教でも宗派によっては12月25日にクリスマスを祝わないと聞いたことはあるが」
「うん、1月6日とかね」
「すると何故、12月25日をキリストの……500円になります。ありがとうございました。……誕生日と決めたんだ?」
「ええと、ほら。ちょうどそれくらいの時期に……何だっけ、日照時間が1年で1番…」
「冬至か?…しまった!今年はカボチャを食べるのを忘れた」
「だから、太陽の誕生日なわけだけど…聴いてる?」
そんな他愛の無いことを話しながら、辰伶とほたるはそれぞれの業務をこなしていた。2人は家にいるときよりもよく喋った。ひょっとしたら、向かい合わせでないこの状態では、お互いの顔を見ないで話すことになるからかもしれない。
「あ」
「どうした」
「今のタコヤキ。タコ入れてない気が…」
「お客様ー!お待ち下さーいっ!」
ほたるが皆まで言うのを待つまでも無く、辰伶は代わりのタコヤキを掴み、店を飛び出して行った。無駄話をしながら作業をしていたので、うっかり手順を間違えたようだ。後にはほたるが1人残され、そこに新たな客が来た。
「タコヤキ1パック」
「ええと、250円?…です?」
500円玉を1枚渡された。250円のお釣りである。しかし今までレジは辰伶が打っていたので、ほたるはレジの打ち方を知らなかった。とりあえず、適当に押してみた。
「たしか…こうして、こうして、……こう?」
違ったようだ。レジが開かない。これでは釣銭を返すことができない。
「ごめん。お釣り無い」
「え?」
「どうしよう」
「どうしようと言われても…こっちも丁度は無いし」
「タコヤキ500円にならない?」
「おいおい…」
「ダメ?じゃあ、タイヤキ1コあげる」
「あげるって……合わせても330円じゃないか」
「あ、そうか。?じゃあ、タコヤキ2パック買って」
「だから…」
「ダメ?」
ほたるの小首を傾げて『ダメ?』攻撃は、中年男性客のハートを直撃した。
「しょうがないなあ。じゃあ、タコヤキを2パック買うよ」
「お釣りがいらないなら何でもいい」
「その替わり、おじさんのほっぺにチューしてくれるかな?」
「『チュー』?いいけど?」
ほたるが答えた瞬間、中年男性客との間を割って、100円玉2枚と50円玉が乗った掌が突き出された。
「250円のお返しですっ!」
走って戻った辰伶は息を切らせながら、男性客に釣銭とおまけにタイヤキを1つ押し付けた。辰伶に睨まれて男性客はそそくさと去って行った。
「貴様、何てことを…ん?」
ほたるに説教しようと向き直った辰伶は異様な光景をみた。ほたるが茹でる前の生タコを片手に立っていたのだ。
「何?」
「…いや、何でもない」
もしやと思うが、ほたるは生タコを客の頬に『チュー』と貼り付ける気だったのだろうか。辰伶は訊きたくないと思った。訊いて確かめたくなどない。
それにしても、と辰伶は思った。先ほどの客はほたるを女の子と勘違いしたのだろうか。まじまじとほたるを見てしまう。確かに顔立ちは悪くないと思うが、それ程女性的とも思えない。声も高くはない。身長の低さとピンク色のエプロンが仇となったのだろうか。
エプロンの所為だとしたら、辰伶は少々後ろめたかった。自分がピンク色のエプロンを着けたくなかったが為に先に黒い方を取って、ピンク色の方をほたるに押し付けてしまったからだ。
「辰伶」
「なんだ?」
「バイトって、結構おもしろいね」
「俺は疲れたわっ」
給料は20日締めの25日払いなので本来は1ヶ月も先になるのだが、経営者が面倒だからと、その場で計算して現金で手渡ししてくれた。働いた時間は4時間半なので大した額にはならなかったが、ささやかながらも充実感を2人に齎した。
そして売れ残ったタコヤキやタイヤキを貰って帰宅した。労働としては大した事ではないが、やはり慣れないことをしたという疲労感があった。2人してリビングのソファに深々と沈む。
「ほたる。今日は悪かったな」
「何が?」
「その…クリスマスイブだというのに、バイトなんて」
「別に。面白かったけど」
それは本心なのか、彼なりの気遣いなのか。ほたるの表情からは判らない。ほたるは自分の感情を率直に口にすることが多いが、自分の中の全てを語るわけでもないから。
「そうだ。あれがあった」
辰伶は或る物の存在を思い出し、取りに行った。戻った辰伶はグラスを2脚とハーフボトルのシャンパンを手にしていた。実家からくすねて来たものだ。自分達が未成年だということは完全に失念しているようである。
「俺、開けてみたい」
「振るなよ」
辰伶はシャンパンのボトルをほたるに渡した。ボトルの口をタオルで覆い、がっちりとコルクを留めている針金を外した。途端に小気味良い音がして、シャンパンの栓が抜けた。
細やかな気泡の立つ輝くような液体が2つのグラスを満たす。
「ほたる。メリークリスマス」
「メリークリスマス」
重ねられたグラスが澄んだ音を立てた。たったこれだけの、クリスマスイブ。
真夜中。辰伶の眠るベッドを、ほたるが見下ろしている
「辰伶……寝てる?」
ほたるの呼びかけに、辰伶は全く目を覚ます様子は無い。ほたるの口元に正体不明の笑みが浮かんだ。
「睡眠薬、きいてるみたいだね」
深い眠りに沈む辰伶の上に、ほたるの影が落ちた。
ひとまずおわり。クリスマスに続きます。
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