思春期過ぎてもしょーもない
壬生の郷再建の立役者である辰伶を慕う者、尊敬する者は多い。
辰伶は元五曜星だから何しろ強い。名家の出自を奢らず、身分で人を判断せず公正な人柄だ。そして何よりも…美しい!
そんな彼の誕生日を、誕生日にお祝いを申し上げることは禁止されている。いや、禁止と明文化されてはいないが、暗黙の了解で禁止されている。
辰伶には熒惑という、郷公認の恋人がいて、熒惑は郷の外の世界をフラフラと旅をしているのだが、そんな彼も辰伶の誕生日には必ず郷に帰って来る。そんな七夕並みの逢瀬を邪魔してはならないと、郷の者たちは忖度しているのだ。
中には聞き分けの無い野暮天もいないではないらしいのだが、そういうは奴は正義の『馬の脚』にフルボッコにされるという噂だ。なお、『馬の脚』という闇組織の頭目は美しいシャーマンの女(?)であるという噂だが…。
辰伶の誕生日のお祝いを言いに行っていいのは、翌日の午後以降と決まっている。さらりと翌日の午前中も禁止になっている理由は、推して知るべし。ならば前日はどうかというと、恋人よりも先に祝うのは不遜であるということで、これも禁止されている。暗黙の『馬の脚』によって。
どうしても当日に祝いたいものは、家で絵姿に向かってひっそりとお祝いをするのだ。それくらいは『馬の脚』も許してくれている。
2月14日。辰伶は朝から落ち着きが無かった。予定では、今日は熒惑が郷に帰ってくるはずだ。1年ぶりに帰郷した熒惑と1日中イチャコラする予定だ。
予定、予定といっても、事前に予約が入っているわけではない。口約束すらない。だが、辰伶の中ではもはや確実な予定として確定している。
辰伶1人の話ではない。辰伶の誕生日である今日は、何処にも誰にも定められていないが、壬生一族の公休日扱いだ。壬生一族の誇る美カップルの幸せな様子を妄想して溜息をつく者8割、美カップルにあやかって恋人と甘い日をすごす者1割、『馬の脚』として郷の隅々まで目を光らせる者6割、辰伶或は熒惑への嫉妬に歯ぎしりする者微少で、仕事にならないからだ。(合計すると10割を超えるのは重複ありだからです)
余談だが、この日は好きな人にプレゼントをして告白をする日として恋愛イベントにも組み込まれている。これが後にバレンタインデーとなる…などという事実はない。
日付を少し巻き戻して、熒惑は焦っていた。ヤバイ。このままでは辰伶の誕生日に間に合わない。
彼の名誉の為に言っておくが、別に辰伶の誕生日を忘れていたわけでも、寝坊したわけでもない。日付を間違えていたなどということもない。
意外なことに、ほんのついさっきまで、熒惑は真面目に命の危機にさらされていたのだ。とある異国の未開の地で不思議な植物に捕らわれ溶かされる寸前だった。捕食されかけたのはいいとして(良くはないが)、如何せん服が…熒惑の美麗な肢体を隠す衣服がボロボロになってしまっていた。猥褻物陳列ギリギリである。過去に戦闘中辰伶が輝かしい裸体を晒していたが(あれは半分は熒惑のせいともいえる)、今の熒惑はあれ以上にケシカラン状態だ。これまで結構激しい戦闘をしてきたが、滅多に破れることが無かった衣服が、たった半日でボロボロになってしまうなんて、植物ってスゴイと熒惑は感心していた。これだから外の世界は面白い。だから旅はやめられない。
「まずは服を調達しないと…」
無頓着そうに見えて、熒惑は着る物には少々うるさい。デザインもだが、肌触り、着易さ、動き易さなど、拘っている点が多い。気に入った服が簡単に見つかるといいのだが。幸いにしてお金はあった。熒惑は必要と思わないのだが、旅に出る時に半ば強引に辰伶が持たせてくれるのだ。
「こういう時に使えってことか……これも兄弟パワー、ううん、愛の力だね」
お金の力である。
再び14日、正午になっても熒惑が帰って来ない。辰伶はかなり苛々していた。熒惑の為に彼の好物もたくさん用意して待っているのに。
この日の為に辰伶が開墾した手作りのワサビ田を恨めしく睨みつける。…やることが極端だ。
「…俺のことなど、もうどうでも良くなったのかも…」
苛々しすぎて、ふと気弱になったりもする。辰伶の誕生日を忘れていたなら、まだいい。忘れていないのに帰って来ないのだったら。辰伶の他に良い人ができて、帰って来るなり恋人を紹介なんてされでもしたら…
(え?だって、辰伶は俺の異母兄弟だよね。一応、身内だからさ、結婚相手の紹介くらいするでしょ、じょーしき的に)
「などと、しれっと言いかねない奴だ。あいつはそーいう奴だ。他人の期待などどこ吹く風で…」
そうなったら自分はどういう態度をとるのだろう。熒惑の不貞不誠実を詰るのか。熒惑の恋人に嫉妬するのか。それとも、なけなしのプライドを振り絞って、なんでもない顔をして祝福するのか。辰伶にも解らない。
時間を巻き戻して、無事に衣類を調達した熒惑は次の困難に陥っていた。熒惑が衣服を調えた街で、とある娘に見染められて、またその娘がその街の有力者の娘だとかで、色々と面倒なことになってしまった。
曰く、熒惑が艶っぽい視線で娘を誘惑したのだというのだが、無論、熒惑にそんな覚えはない。同じ表情でも見る人によって受け取り方が違う。四聖天の仲間には「仏頂面」と、遊庵には「何も考えていない」と、辰伶には「やる気が無い」だの「ぼさっとするな」だのと言われる顔だ。
「艶ってよくわからないけど、何か無駄だなあ」
2人が両想いになる前の話になるが、熒惑は辰伶を相手に何度か熱を込めた視線で誘惑してみた。その成果はというと、熱でもあるのかと体調を確認されてしまっただけだった。釣りたい魚が釣れない。目的外に釣れるのは雑魚だ。雑魚しか釣れない艶なんて、熒惑には邪魔でしかない。
熒惑は目の前に聳える高い壁を見上げた。街は城壁に囲まれていて、出るには門を通行する許可証が要る。その通行証が発行してもらえないのだ。いざとなれば、力づくで街を出ることも厭わない熒惑だし、それくらい造作もないことだが、外の世界の人々に迷惑をかけるなと辰伶から固く言われている。辰伶は熒惑が自分の言うことを全くきかないと怒ったり嘆いたりしているが、実は熒惑は辰伶の言葉を案外大事にしているのだ。ただ、時々うっかり忘れたり、辰伶の怒った顔が見たくなるだけなのだ。
「無理矢理通って、何人か殺しちゃっても緊急事態ってことで、辰伶も許してくれるかなあ」
理不尽をされているのは熒惑なのだから、おそらく辰伶は許す。それどころか、今の熒惑の状況を辰伶が知ったら、自身で街に乗り込んできて城壁も城門も街ごと吹き飛ばしていただろうが、熒惑も存外辰伶に夢見ている部分はある。時に辰伶は熒惑以上に過激な行動に出たりもするのだが、熒惑の抱く辰伶の印象はどこまでも規則や良識に縛られた堅物の石頭だ。
「とにかく、できるだけのことはしないとね」
熒惑は自身が溶かされそうになった植物の分泌物である酸のようなものを岩に垂らした。これで城壁に穴をあけて脱出する作戦だ。
「……やめた」
岩は溶けるには溶けるのだが、何年かかるだろうか。もっと効率の良い方法があるはずだ。城門の門扉の鎹部分を溶かすとか。そもそも、それならこんな酸に頼らずとも熒惑の炎の方が強烈だ。
「…やっぱり門番とか警備とかの見張りの人たちが問題か…面倒だなあ…」
面倒だから殺っちゃってもいいだろうか。
悩む分だけ熒惑は外の世界の常識に馴染んでいた。昔だったら悩まず城門を破壊していただろう。目の前の邪魔な石ころを蹴り飛ばすくらいの感覚で。
「辰伶だったらどうするかなあ…」
熒惑は目の前の石ころを見詰めた。
「無明歳刑流奥義、水破七封龍!!」
辰伶は道を塞いでいた大岩を一撃のもとに粉々に打ち砕いた。ワサビ田づくりで培った技術…ではない。
「すっきりした。これで通れるな」
「辰伶様、ありがとうございます」
崖が崩れて通行止めになっていると報せを受けた辰伶は視察に訪れるや、道を塞いでいた大岩を吹き飛ばした。本来は辰伶の仕事ではないのだが、今日は壬生の郷全体が仕事を休んでいたし、辰伶がムシャクシャしていた気を発散させたかったからだ。
もう夕暮れだ。熒惑が帰ってくることも無いままに1日が終わろうとしている。この頃になると、怒りよりも不安の方が大きくなっていた。熒惑の身になにかあったのだろうか。命の危機にさらされていないだろうか。
辰伶の不安は半分だけ当たっていた。しかしこの頃には既に熒惑は命の危機は脱していた。良かったね。
心変わりや浮気を疑ってもみたが、それは完全に外れている。熒惑は街の有力者の娘など見向きもしていない。辰伶のもとへ帰ることばかり考えている。良かったね。
「どうして今まで安穏としていられたのだろう。次に帰ってきたら…」
次?もう次なんて無いかもしれないと、何故一度も疑わなかったのだ。辰伶は後悔していた。五曜星時代に熒惑が狂の監視任務で外の世界へ出て行った時には、熒惑の顔を見るのはこれが最後になるかもしれないと、そんな悲痛な思いで見送ったというのに。あの時の気持ちを、どうして忘れていられたのだろう。
辰伶は思い出していた。あの頃はお互いに異母兄弟であることを確かめ合っていなくて、同じ五曜星であるのにいがみ合っていて、ただ陰から見詰めることしかできなくて、ストーカーと思われていたことが後に判明してムカついて……
「…次に帰ってきたら、どうしてくれよう」
辰伶は舞曲水を軽く素振りした。
熒惑は街の有力者と交渉してみた。街から出る許可と引き換えに、失せ物を見つけたり、犯罪者の逮捕に協力したり、街を脅かす魔獣を退治したりと、何やらRPGのようなことをしていたら勇者様とか呼ばれて、是非とも街に居てくれと便利な何でも屋扱いで、ますます許可が下りそうもない感じになってきた。こうなったらやはり力づくで…
「俺はかなり理性的に頑張ったと思う。だからもういいよね」
街を狙う盗賊団を壊滅させたところで、熒惑はそのどさくさに紛れて遁走した。熒惑のことを無欲で慈悲深い勇者だと思いこんだ街の人々は、まだまだ問題だらけのこの街を見捨てて熒惑が去ってしまうなどと思わなかったのだ。
「問題あり過ぎ。自分達で何とかしなよ」
辰伶だったら最後まで見捨てなかっただろうか。壬生の郷を愛し、壬生の再建の為に、郷に留まった彼なら。幼い頃からの憧れよりも、壬生一族としての誇りと使命を選んだ彼ならば。
ちょっと感傷的になっている熒惑には申し訳ないが、その街が壬生の郷ではない時点で、辰伶の守備範囲外だったりする。旅する間に、熒惑は辰伶を美化してしまっていたようだ。
「とにかく、本当にもうギリギリだから。間に合うかなあ…」
熒惑はハッと気づいた。辰伶の誕生日に送ろうと思っていたアレが無い。そもそもアレを手に入れる為に、人食い花の森で溶かされかけたというのに。
もうすぐ日付が変わってしまう。夜の道を、辰伶は走っていた。
過去がどうであれ、熒惑の普段の態度がどうであれ、辰伶の恋人となった熒惑が何の言葉も無しに辰伶を裏切ったりはしないことを、辰伶は知っている。信じる、信じないではない。辰伶が知る熒惑はそうなのだ。
「つまり、熒惑の身に何かあったということじゃないか」
熒惑を助けなければ。そう確信して、辰伶は何処に居るとも知れない熒惑を求めて、壬生の外の世界へ続く道をひた走った。
「こんな夜更けにどこに行くの?」
この声。辰伶は足を止めた。闇の奥からぼんやりと浮かび来る人影と、近づいてくる下駄の音。
「遅れてごめん。誕生日おめでとう」
溢れる想いに突き動かされて、辰伶は熒惑の胸に飛び込んだ。熒惑の体温と熒惑の鼓動を全身で感じて、張り詰めていた気が柔かく解けていく。
「熒惑、もう…待てない…」
辰伶の頬は上気して赤く、少し息が荒い。そしてこのセリフ。一年ぶりに逢う恋人は悪魔のような魅力で熒惑を誘惑する。
「待てないって、こんな所でいいの?」
「いや、今すぐという訳には。準備とかもあるし、一度屋敷に戻ってから…」
「そうだね。こんな往来で、誰が来るかも解らないし」
「え?ああそうだな…?」
「この季節に外でとか、ちょっと厳しいかも…」
俺も早く辰伶に触れたいけど…と言いかけて、辰伶が怪訝な顔をして熒惑を見ていることに気づいた。あれ?違った?そういえば、少し会話が噛みあってないような。
「ええと、一度戻って準備って、何の?」
「勿論、旅支度だ。もう、郷でお前を待っているだけなんて嫌だ。お前に付いて行く」
「あ、『待てない』って、そういうことね」
辰伶の頬が上気して息が上がってるのも、直前まで走っていたからだ。
「今の季節に外の世界へ行くのは厳しいか?しかしお前は季節関係なく外の世界を旅しているじゃないか。お前にできて俺にできないということは…」
「ええと、寒さが厳しいから、しっかり支度しないとね」
なあんだ。てっきりエロ系のお誘いだと思ったのに。でも、これはこれで嬉しい。熒惑は辰伶と一緒に外の世界を旅したいとずっと思っていたのだ。
辰伶の誕生日なのに、俺を喜ばせてどうするんだよ。あ、そうだ。辰伶への贈り物…
「…誕生日に何かあげたかったんだけど、ゴメン、あのね…」
用意した誕生日プレゼントを無くしてしまった。どこかで落としたのか、置き忘れてしまったのか。探しに戻る時間も、もう一度手に入れる時間もなくて、手ぶらで帰ってきてしまった。
「いいんだ。そんなの、お前が無事に帰ってきてくれさえすれば…」
今、日付が変わった。熒惑は辰伶の誕生日に祝いの言葉を贈ることができた。そして、これからは…
おわり
三景@あむねじ屋