思春期だからしょーがない
誰にでも思春期はある。多分。
壬生一族にも思春期がある。かもしれない。
五曜星が1人、熒惑も思春期と呼ばれるお年頃である。
五曜星という重要な地位にありながら、生まれの身分が不確かだった熒惑はその存在を侮られることがしばしばだ。しかし、そんな出自や身分などでは隠せないものがある。それは彼の容姿だ。美形揃いの壬生一族の中にあっても輝くほどに麗しい容姿に憧れる者は、実はかなり多かった。元の身分の低さなど、「そんなもの私の家柄でカバーしてア・ゲ・ル」と、マイナス点に思わない人もいるのだ。
そういう訳で、思春期の熒惑にもそれなりに恋バナが耳に入るようになり、体調の変化もあって、人並みに恋愛とか情欲というものを理解するようになった。しかし、理解はしたが実感したことはなかった。
「…まあ、世の中にはそういう人もいるらしいし…」
他の人間のように、誰が好みだとか、誰とお近づきになりたいだとか、そんな欲求を感じたことがないことに、熒惑は全く焦りを感じなかった。人は人、自分とは違う。どんな時にも熒惑はマイペースだった。
「恋愛どころじゃないんだよね。ていうか、恋愛とかどうでもいい…」
熒惑はずっと昔からたった1人の人物を意識していた。それは自分の異母兄弟で、いまでは同じ五曜星である辰伶だ。
辰伶と熒惑は母親が違う。辰伶は名家の嫡子、正妻から生まれた正当な息子。対して熒惑は妾腹の生まれで、その生を実の父親から否定された。そういう関係であるから、意識するなというのが無理だ。何かにつけて競争心や反発心が湧き起こってしまうのは仕方がない。
「それは仕方ないとして……じゃあ、コレは?」
最近はどうもおかしい。辰伶のふとした仕草に心臓が騒ぐ。心臓だけでなく、もっと奥深いところというか、もっと下の方というか…
そこで熒惑はピンときた。これは思春期にありがちな反応だ。なんだ、自分にもそういう感情とか感覚とかあるじゃないか。今度、自慢しよう。
「…あれ?誰に自慢すればいいの?」
庵家でそんな話をするのは、何か気恥ずかしいと思う。こういう話は、普通は友達とか同僚とかに話すものだろう。
「話したいような友達とかいないなあ」
ならば、必然的に彼しかあるまい。
熒惑は同僚である五曜星の辰伶に、自慢話をとくと聞かせた。
五曜星のメンバーは他にもいるが、どうして辰伶にしたかと言えば、同性で年齢が近かったからだという、割と真っ当な理由だった。それに、辰伶は名家の跡取りだから家のガードが堅いし、任務至上のガチガチ真面目な石頭だから色恋関係の話などついぞ聞かない。自分の方が恋愛経験的に勝っていると判断してのことだ。
「…………」
その辰伶の反応は、当然と言うか無言だった。驚きと戸惑いでキョトンとした大きな瞳がカワイイなどと熒惑は思ったが、そろそろ何か言葉が欲しい。
「ねえ、何かないの?」
「…何かって…」
何かとは何だ。熒惑にも解らない。気楽な恋バナなのだから、笑って「ガンバレ」とか「ムリムリあきらめろ」とか「そんなのが好みかよ、俺だったら…」とか、色々あるものだと思うのだが。
余談だが、そういう話に対して熒惑は「ふうん」としか返したことがない。
辰伶が反応に困るのは当然と言えた。何しろ熒惑の話の意図が全く読めない。これが恋心の告白であれば返事のしようはあるのだ。だが、どうにもそんな感じはしない。それで貴方に欲情してますなんて、セクハラ発言だ。
(いったい熒惑は何を考えて……何も考えていないのかも…)
「それで、貴様はどうしたいのだ」
「どうって……、あれ?」
やっぱり何も考えていなかった。辰伶は溜息をついた。
溜息をつく辰伶に、熒惑はムッとした。バカにされたような気がしたのだ。どうしたいって、欲情したらしたいことなんて決まってるじゃないか、と、唐突に熒惑は己の欲求の帰着すべきところを見出した。
「辰伶を抱きたい」
「…え……」
「聞こえなかった?(大声で)しんれーをっ」
「わかった!わかったから黙れ!」
慌てた辰伶が必死に熒惑の口を塞ぐ。
「貴様は俺のことが嫌いじゃなかったのか」
嫌い…な筈なのだが、熒惑の心身が辰伶に対して思春期的なそれを感じてしまうのだからしょうがない。
「そういえば、俺はお前に嫌いとかウザイとかしか言ったことなかったね」
「ウザイは余計だ」
それでいきなり「抱きたい」はないよね。いくら天然と言われる熒惑でもそう思う。でも、辰伶を欲しいと思ってしまうのも本心で。それに応えてもらうには、言うべき言葉がある。好きだと言えばいいのだ。
熒惑は言えなかった。辰伶に対しては色々と想いがありすぎて、好きの一言だけが言えない。
代わりに別のことを言おう。今まで言ったことなかったけど。
「今日、お前の誕生日だっけ?」
熒惑は辰伶に誕生を祝う言葉を送ったことがなかった。辰伶が驚いた顔をした。先ほどの熒惑の話を聞いた時ほどではなかったが。
「知っていたのか」
「まあね。おめ…」
言葉が止まった。
「ええと……おめ…」
誕生日おめでとう。その言葉が出てこない。熒惑を殺そうとしたあの父は、辰伶の誕生は心から祝っただろう。跡取りの誕生を喜んだだろう。僻んでいるわけじゃないが、いや、僻みなのだろうか。喉につかえてしまう。
「おめでとう」も「好き」も言えない。辰伶を欲することはできるのに、辰伶を求める為の、大事な言葉が口に出せない。辰伶を求めてはいけないのだと堰き止めている。何が?血が?
「…無理しなくていい」
辰伶の声は優しかった。あきれてもいないし、バカにもしていない。その声の通りに優しく、熒惑は抱きしめられた。
「俺にも覚えがあるから。お前ならいい…」
そう言う辰伶の指は、熒惑の背中にしがみつきながら微かに震えていた。畏れか緊張か、精一杯の辰伶の気持ちが熒惑に伝わってくる。
「お前がいい。…触れたいのも、触れられたいのも、お前だけ…」
その夜のことは、2人だけの秘密である。
思春期真っ盛りを迎えた異母弟から(文学的に表現するなら)苦しい胸の内を明かされた辰伶も、言ってみれば思春期真っ盛りのお年頃であった。何しろ件の異母弟とは半年しか生まれの差が無いのだ。誕生日である今日を迎えてようやく1歳上、つい昨日までは実は同い年だったことは、本人たちにも余り意識されていない。
さて、少し時を遡って、辰伶が異母弟からセクハラ…もとい、苦しい胸の内を明かされたときの、辰伶側の心情はこのようであった。
「ねえ、何かないの?」
「…何かって…」
色んな方向に驚いて、辰伶は何も言えないでいた。まず、熒惑に性欲があったのかということに驚いていた。熒惑本人が『なんだ、自分にもあったじゃないか』と驚くくらいに、熒惑は色欲的な情緒から遠い人物と自他ともに思われていたのだ。異母弟の順調な成長を、辰伶は兄として安心した。
驚きポイント2つ目。何故それを打ち明ける相手に辰伶を選んだのか。これについては全く解らない。こういう話をするほど、辰伶と熒惑は親しくはない。むしろ険悪だ。辰伶としては殊更ことを構えるつもりはないのだが、何かと熒惑の方から絡んでくるのだ。
最大の驚きポイントは、その欲望の対象が己であるということ。同性で、半分とはいえ血縁で、しかも熒惑から嫌われている。血縁という点については、熒惑は知らないのかもしれない。しかしそれを差っ引いても、難アリは変わらない。
(しかもそれを当人に言うということは、これは告白と思っていいのか?)
恋情の告白であるなら、受け入れるか断るか、答えは2択だ。辰伶としても答えようはある。
(ええと、まずはお互いをよく知る為に文通から…でいいだろうか)
今更文通するまでもなく、互いの為人など知っている。特に辰伶は以前から熒惑を物陰から見守ってきたのだ。熒惑の昨日の晩飯のメニューだって知っている。
(交換日記、そうだ、交換日記なら!)
断ると言う選択は、実は辰伶には全く無かった。思春期真っ只中の辰伶にとっても、熒惑は気になる相手だったのだ。
しかし辰伶は逸る心にブレーキをかけた。これは禁忌の想いだ…ということにではない。熒惑と両想いだなんて、話が上手すぎることに辰伶は警戒心を抱いてしまった。名家の生まれで順風満帆に生きてきたように見える辰伶だが、実はあまり自分の願い通りに事が成ったためしがない。辰伶が本当に欲しい物、心から望むものは、己の手をすり抜けていくのだ。
(何かの罠か?)
そう思ってしまうのも無理ないことだ。
「それで、貴様はどうしたいのだ」
「どうって……、あれ?」
どうやら熒惑は何も考えていなかったらしい。罠とか疑った自分がバカみたいだ。辰伶は溜息をついた。それに熒惑はムッとして言った。
「辰伶を抱きたい」
「…え……」
「聞こえなかった?(大声で)しんれーをっ」
「わかった!わかったから黙れ!」
慌てて熒惑の口を塞いだ。大声で何てことを言うのだ。羞恥心は無いのか。そういえば恥を恥と思わない奴だった。
「貴様は俺のことが嫌いじゃなかったのか」
「そういえば、俺はお前に嫌いとかウザイとかしか言ったことなかったね」
「ウザイは余計だ」
好きとか嫌いでは割り切れない体の欲求があるということは、辰伶も理解しないでもない。熒惑がどう思っているか測りかねるが、辰伶としては熒惑に触れたり触れられたりするのは嫌ではない。熒惑に求められて少し嬉しいとさえ思ってしまった。だが、後で後悔しないだろうか、熒惑が。自分たちが異母兄弟だと知ったら、熒惑は関係を持ったことを後悔して、ますます辰伶を憎むかもしれない。辰伶が考えに沈んでいるところに、熒惑が唐突に言った。
「今日、お前の誕生日だっけ?」
辰伶は驚いた。いかにも今日は辰伶の誕生日であるが、熒惑が知っているとは思わなかった。
「知っていたのか」
「まあね。おめ…」
そこで熒惑の言葉は止まった。どうやら祝ってくれようとしているようだが、その言葉がどうしても出てこないらしい。言いたくないのではなく、言えないのだと、辰伶は正確に察した。
「…無理しなくていい」
辰伶には熒惑の心に深い傷があるのが見えていた。その傷を労わるように、熒惑を優しく抱きしめた。
「俺にも覚えがあるから。お前ならいい…」
熒惑なら抱かれてもいい。抱きしめたい。躊躇いや怖れが無い訳ではないが、それよりも熒惑を乞うる気持ちの方が強かった。
「お前がいい。…触れたいのも、触れられたいのも、お前だけ…」
その夜求めあったのは、心であったのか体であったのか、当人たちにも解らない。
おわり
三景@あむねじ屋